2010-03-10 | |
テーマ:神社 |
豊国神社
雨はお昼までに止んだんですけどー
なぜ…なぜなの…
なぜこんなに寒いのーーー(ノ◇≦。)
また冬に逆戻りの京都…
でも春近し
そう願いながら本日も行ってきましたーー
今回は
バン
ババンッ
「豊国神社(とよくにじんじゃ・ほうこくじんじゃ)」でございますっ
「負ける負けると思えば負け、勝つ勝つと思えば勝つものなり。」
そうです‥
この豊国神社の主祭神は…
その名の通り!
戦国の天下人!
「豊臣秀吉」です
この豊国神社は
東山の阿弥陀ヶ峰山頂に
埋葬された秀吉を、方広寺の鎮守社として
廟所が建立されたことから始まるそうです
当時豊国神社は、豊臣家滅亡後、
徳川によって壊滅寸前までに壊されたそうなんですっ
こわっ!
そしてこちらが「国宝」にも登録されている
「唐門」です
すごいなぁ~~~
ん…?むむむー…??
唐門の横にカラカラ~♪っと音を立てている謎の物体が
なんだコレ
よーく見てみると…
これは…絵馬???
それにしては変な形…
というか、ひょうたん型っ
前に訪れた松尾大社はしゃもじ…
→松尾大社
この豊国神社は「ひょうたん」
何で何で!?
おぉぉ~芸能界のビッグネームのひょうたん絵馬を発見ー
稲川順二も来てたのか…
提燈に大きく描かれたご神紋っ
もちろん豊臣家の家紋、五七の桐ですっ
さてさてーーー
この豊国神社と地続きになっている場所に
「とあるもの」があるんです!!
これは歴史的にも豊臣家的にも
ひじょーーーに重要で有名「もの」なんですよー
それが…こちら
ゴーーーーーン
見た目そのままの大きな鐘でございます~
しかーし!!
この鐘がきっかけとなって
豊臣家が滅亡しちゃったわけなんですっ
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━
当時、天下人となった徳川家康は
「豊臣家」の存在が邪魔で
なんとか「滅亡」させようと思っていたんですけど、
それをするには「理由」がないコトには責めるコトは出来ない…
そこで、この鐘なんです
豊臣家がこの方広寺に寄与したこの鐘に今も残る、
「国家安康」 「君臣豊楽」
という言葉…
この言葉を家康は「きっかけ」にしようと思ったんですっ
「国家安康」という句は家康の名前を分断したもので、家康はこれを、
家康を呪うだとー
という風に解釈し、もう一方の
「君臣豊楽」は豊臣が徳川から
天下を再び奪い取るだとー
という意味で捉え、豊臣家滅亡の「きっかけ」としたんです…
っというか…
これはもはや…イッイッ…イチャモンやがなー
戦国合戦「敗者」たちの言い分
そうして、豊臣家は大阪冬の陣、夏の陣を経て、
滅亡してしまったんです…
という何とも切ない物語…
あっ!この方広寺も今は跡地となって、その場所にこの鐘があるんですー
豊国神社のホントすぐ横にあるので、
訪れた際は絶対に見たほうがいいですよっ(=⌒▽⌒=)
本日訪れた豊国神社はこちら↓
大きな地図で見る
最寄の交通案内
雑談掲示板 新着