メモ2019-11-27
テーマ:お寺

西明寺

今回ご紹介するのは

古くから紅葉の名所として知られる

京都市右京区の槇尾(まきのお)にある

西明寺(さいみょうじ)です!


西明寺


西明寺は槇尾山(まきのおやま)と号す

真言宗大覚寺派(しんごんしゅうだいがくじは)の寺院で

高雄(たかお)の神護寺(じんごじ)

栂尾(とがのお)の高山寺(こうざんじ)とともに

『三尾』(さんび)といわれる

名刹(めいさつ)の1つなんですよ

※名刹とは、有名なお寺のこと。


西明寺のこま札


そして、この3つのお寺を巡ることを

『三尾めぐり』といって、特に紅葉シーズンは

人気のスポットとなっているんですね~


そんな西明寺は平安時代初期の

天長年間(824~834年)に

弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)の

十大弟子の1人、智泉大徳(ちせんだいとく)が

神護寺の別院として創建したのが

始まりといわれています


槙尾山西明寺と書かれています。


智泉は、空海がまだ私度僧(しどそう)であったとき

最初に弟子入りした人物で、空海の甥にあたります。

※私度僧とは、許可なく勝手に僧侶になった者のこと。当時、僧侶になるには許可が必要でした。


その智泉なんですが、実は

あまり詳しいことがわかっていません


けれど智泉の評価は、彼が37才で入滅した際

空海が彼の供養のために書いた

『性霊集』(しょうりょうしゅう)の巻八

「為亡弟子智泉達嚫文」

(なきでしちせんがためのたっしんぶん)

を読むだけでわかります

※入滅とは、徳の高い高僧が亡くなることです。


「哀れなる哉 哀れなる哉 哀れが中の哀れなり

悲しい哉 悲しい哉 悲しいが中の悲しいなり」


「悟りを開けば、日常の存在は

幻のようなものと知っているはずなのに

愛弟子との別れに涙が溢れる」


「哀れなる哉 哀れなる哉 また哀れなる哉

悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉」


かなしいかな、かなしいかな、と何度も書く空海

自分の後を継いでいくはずの弟子が

自分よりも早く、この世を去ってしまった

空海の強い悲しみが痛い程伝わってくる文章です

おそらく声を出して泣いていたんじゃないでしょうか。


日本史上類を見ない大人物である空海から

これほどまでに愛された人物、それが智泉でした


話を西明寺に戻しまして

智泉が創建した後、荒廃していたのを

健治年間(1275~1278年)に

和泉国槇尾山寺の我宝自性(がほうじしょう)が

再興します


1290年(正応3年)には、後宇多法皇

(ごうだほうおう:第91代天皇)より

平等心王院(びょうどうしんおういん)の号を

命名賜り、神護寺から独立しました。


しかし永禄年間(1558~1570年)のときに

兵火によって焼失し、神護寺に合併となるんですね。


その後、神護寺晋海(しんかい)が

寺の一部を分付し、1602年(慶長7年)

明忍律師(みょうにんりっし)が再興して

現在に至ります


では早速、中に入っていきましょう


こちらは清滝川に架かる

指月橋(しげつきょう)です。


槙尾山聖天堂と書かれた石碑と指月橋


どうですかとっても紅葉が綺麗

訪れたときのタイミングが良くて

ちょうど紅葉のピークだったんです


そして指月橋を渡り、石段を登っていく途中に

『大界外相』(だいかいげそう)と

彫られた石碑があります


石段途中にある大界外相の石碑


大界外相の石碑の建つ向こう側は聖域

つまり寺域である事を表しているんですね

仏の世界と人間の世界を分けている

結界石というワケです


さらに階段を上がっていくと表門が見えてきます。


表門


表門は、本堂と同じく江戸時代

1700年(元禄13年)の造営のものと伝わっています。


そしてその表門をくぐって

中に入った先に見えてくるのが本堂です。


本堂


本堂には、ご本尊の

「釈迦如来像」(しゃかにょらいぞう)が

安置されています


釈迦如来像


釈迦如来像は、清涼寺式釈迦如来像

鎌倉時代の天才仏師、運慶(うんけい)によるものです。


この本堂は、江戸幕府第5代将軍である

徳川綱吉(とくがわつなよし)の母

桂昌院(けいしょういん)の寄進によって

再建されたものと伝わっています。


桂昌院と言えば、玉の輿の語源になった

人物といわれていますよね

幼名を「お玉」といって西陣(にしじん)の

八百屋の娘として生まれました


格の高い西陣の大棚(おおだな:大店)

本庄家(ほんじょうけ)に養女として出された後

江戸幕府第3代将軍の徳川家光

(とくがわいえみつ)の側室となります。

その後、将軍になる綱吉を産むんですね~


お玉が京都から江戸に嫁ぐ江戸までの道中

輿(こし)に乗って行った事から

玉の輿入れ(たまのこしいれ)という

諺(ことわざ)が生まれたといわれています♪

まさに玉の輿!


本堂から見える苔庭の紅葉


そんな桂昌院は、明忍に帰依(きえ)していました。

そういった繋がりから本堂を寄進したんですね


本堂入口に掲げられた「霊山鷲心」と書かれた額。空海の筆。


本堂の左前には、樹齢およそ700年とされる

大きな槇の木がありましたよ

槙ノ尾の地名の由来になったと伝わっています


そして本堂と渡り廊下で続いている建物が客殿です。


客殿


客殿は、江戸時代前期に移築されたもので

当時は食堂(じきどう)と呼ばれ

僧侶の生活や戒律の道場として

利用されていました


こちらはその当時の名残でしょうか

平等心王院僧制と書かれた

木札が掲げられています


平等心王院僧制の木札


一 粥飯并茶之時事畢可速去事

一 於公所細工等之私業不可作之事

一 茶之作相一日之中不可過三度事

一 夜之燃火不可過初夜事

等、9か条からなっています。


ちなみに客殿には普段入る事が出来ないんですけれど

紅葉のシーズンになると一時的に解放されて

中でお抹茶を頂くことが出来ちゃうんです

お茶菓子は、俵屋吉冨

たわらやよしとみ)さんのでした


お抹茶


そして本堂右手前には

歓喜天(かんぎてん)がお祀りされている

聖天堂(しょうてんどう)があります。


聖天堂


歓喜天は、頭が象の形をした象頭人身の

男天と女天の2体が抱き合った

双身像の神様です


歓喜天への供物とされる大根

蘿蔔根(らふくこん)と呼ばれ

歓喜天の好物とされているんですね


2本の大根が交差した図柄


大根を絶って祈願するといち早く

願いが叶うといわれていますよ


また、歓喜天へのお供物として

清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)も

知られています。


清浄歓喜団


清浄歓喜団は御団(おだん)とか聖天さんと

呼ばれる唐菓子(からくだもの)の一種で

奈良時代に遣唐使(けんとうし)によって

伝えられました

※清浄歓喜団について詳しくは、亀屋清永の記事をご覧下さい。


聖天堂では金運のお守り

「倍返りお守り」(ばいがえりおまもり)が

授与されています!


倍返りお守り


「出るお金に感謝致しましょう。

倍になって帰って来ます。」

と書かれています


これで金運アップかな


入ってくるお金だけでなく

出て行くお金にも感謝すれば

倍になって帰ってくる、との思いで

先代住職が考案されたのだそうです。


聖天堂と本堂をつなぐ渡り廊下の紅葉


そしてこちらが鐘楼(しょうろう)です。


鐘楼


ちなみに西明寺の鐘は一般の人でも

撞くことが出来るんですよ~

心静かに鐘を撞けば、煩悩が少しはらわれるかも!?

ゴーン!


という事で今回は

紅葉の名所である西明寺をご紹介しました!


ちなみに紅葉のシーズンじゃなくても

桜や新緑がとっても綺麗ですので機会を見つけて

皆さん是非訪れてみて下さいね


そんな四季折々が楽しめる西明寺はコチラ↓


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