今回ご紹介するのは
京都市上京区にある
護王神社(ごおうじんじゃ)で行われた
神幸祭(しんこうさい)です!
護王神社の神幸祭は
2年に1度の隔年で行われているお祭で
境内で神事を行った後
鳳輦(ほうれん)や人力車
稚児行列、風流幣行列等の神幸列が
京都御所の建礼門(けんれいもん)まで
巡幸して神事を行った後
氏子地域を巡幸するんですね~
ここで護王神社についても
簡単にご紹介します
護王神社は、和気清麻呂
(わけのきよまろ)と
お姉さんである広虫(ひろむし)を
ご祭神とする神社で
通称『いのしし神社』と
言われています
これは清麻呂が
宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)に行く際
300頭もの猪が護ったという話から
狛犬の代わりに狛猪(こまいのしし)が
安置されているからなんですよ
狛猪
ちなみにどうして清麻呂が
宇佐八幡宮に行ったのかと言いますと・・・
僧侶の弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が
769年(神護景雲3年)に宇佐八幡宮から
「次の天皇には、僧侶の弓削道鏡にしなさい」
といった神様からのお告げがあったとして
天皇になろうとしたからなんですね
つまり!これは皇族では無い人を
天皇にしなさいと言っているワケです
まさに天皇の座が皇族以外の人間に
奪われようとしている瞬間と言えます
これは大変な事ですよね。
日本は開闢(かいびゃく)以来
皇族以外から天皇が出た事はありませんから。
そこで、称徳天皇
(しょうとくてんのう:第48代天皇)から
命じられて清麻呂は、宇佐八幡宮に赴き
神様のお告げの真偽を
確認しに行ったというワケです!
戻ってきてから清麻呂は、称徳天皇に
「古来より天皇というのは、皇族からしか出ていません。それは今後もそうです!!」
とお告げが偽物であったと報告したんですね
この一連の事件を
『宇佐八幡宮神託事件
(うさはちまんぐうしんたくじけん)』
といいます
※宇佐八幡宮神託事件について詳しくは、神護寺 その1の記事をご覧下さい。
ちなみに毎年、和気清麻呂の命日である
4月4日に合わせて行われる
護王神社の護王大祭(ごおうたいさい)では
宇佐八幡宮からお告げを聞いて戻ってきた
清麻呂が称徳天皇に上奏(じょうそう)する
シーンが再現される『宇佐神託奏上ノ儀
(うさしんたくそうじょうのぎ)』が
行われるんですよ
※上奏とは、天皇に対して意見をお伝えする事。護王大祭について詳しくは、護王大祭 2012(護王神社)の記事をご覧下さい。
それでは護王神社の神幸祭を
レポートしていきましょう
午前11時頃に護王神社に着くと
境内には、お祭の関係者や多くの観光客で
いっぱいになっていました
護王神社の桜
しばらくすると、神職の方が
本殿前に安置された鳳輦の前で神事を行います!
護王神社本殿前に安置された鳳輦(ほうれん)
まずは、神様をお迎えするにあたって
罪や穢(けが)れを祓(はら)う
修祓(しゅばつ)が行われます
修祓(しゅばつ)
神様は罪や穢れがお嫌いですからね
そして宮司による
祝詞(のりと)が奏上されます
祝詞は、お祭の目的や神様に捧げる
祈りの言葉を申し述べるものなんですよ♪
祝詞奏上
続いて玉串(たまぐし)を使った拝礼の
玉串奉奠(たまぐしほうてん)等を行うと
いよいよ神幸列が京都御所に向けて出発します
神幸列は、護王神社北側の喜多門から
神職に続いて、先太鼓(さきだいこ)
稚児行列、子供神輿、鳳輦、そして
宮司を乗せた人力車に
風流幣行列といった順番で
出ていくんですね~
稚児
子供神輿
鳳輦
宮司を乗せた人力車
風流幣行列
300メートル程です
京都御苑の蛤御門(はまぐりごもん)から
御苑の中に入り、京都御所の
建礼門前まで巡幸すると
宮司に合わせて2礼2拍手一礼を行います
建礼門前での神事
その後、神幸列は再び蛤御門をくぐって外に出て
氏子地域を巡幸し護王神社に戻ってくるんですね
という事で今回は
護王神社で2年に1度行われる
神幸祭をご紹介しました
護王神社の場所はコチラ↓