今回は、ご紹介するのは京都で見られる
『曲水の宴(きょくすいのえん、きょくすいのうたげ)』です!
曲水の宴は
『ごくすいえん、ごくすいえんのうたげ』
とも呼ばれ、宮廷の儀式として3月3日桃の節句に
行われていた平安朝の雅な宴を再現したものですね
小川の流れのある庭園で川べりに
男性は狩衣(かりぎぬ)に烏帽子(えぼし)
女性は小袿(こうちき)といった
平安装束に身を包んだ歌人らが散らばって座り
流された羽觴(うしょう)と呼ばれる
オシドリの鳥を象った小さな船が
自分の目の前を通り過ぎる前に
お題の和歌を短冊に綴るという
平安貴族の間で楽しまれていた遊びなんです
※羽觴の「羽」は鳥の羽、「觴」は盃という意味です。
ちなみに羽觴(うしょう)の上には
お酒の入った盃(さかずき)が乗せられていて
本来は、羽觴が通り過ぎるまでに
一句詠まなければ罰として
盃のお酒を飲む事になっていたみたいです
川上に座っている人程
短い時間で和歌を考えて短冊に書かなきゃいけないので
座る場所は結構重要になってきますよね
そんな曲水の宴は
もともと中国で行われていたもので
紀元前1046年頃に成立した
周(しゅう)の周公旦(しゅうこうたん)
または秦(しん)の昭襄王
(しょうじょうおう:在位期間:前306~前251年)の時代に
始まったと考えられています
中国では3月3日の上巳(じょうし)の日に
水辺で禊を行う風習があったそうで
この禊がやがて曲水の宴へと発展したというんですね
日本では、顕宗天皇
(けんぞうてんのう:第23代天皇)の時代
485年(顕宗天皇元年)に
天皇のお出ましを仰いで行われたと
『日本書紀(にほんしょき)』には
記載されています
その後、途絶えがちになったそうなんですけれど
奈良時代から平安時代には、宮中の年中行事となり
その後、藤原道長(ふじわらのみちなが)や
藤原師通(ふじわらのもろみち)といった
平安貴族が自邸でも行うようになっていったんですね♪
それから再び戦乱等で途絶えたんですけれど
江戸時代の1732年(享保17年)に
米将軍で知られる江戸幕府第8代将軍
徳川吉宗(とくがわよしむね)が江戸城で
曲水の宴を再興したと伝わっています
現在、京都では曲水の宴を
年に3回見る事が出来ますので
ご興味ある方は足を運んでみて下さいね~
それでは、早速ご紹介しましょう
■賀茂曲水宴(かもきょくすいのえん)
場所:上賀茂神社(かみがもじんじゃ)
日にち:4月第2日曜
『渉渓園(しょうけいえん)』で行われます!
1182年に当時の神主だった
賀茂重保(かものしげやす)という人物が
上賀茂神社に15、6人の歌人を招いて
行ったのが始まりとされているんですね
以降、中断と再開を繰り返しましたけれど
1994年(平成6年)、皇太子殿下の御成婚と
平安建都1200年を記念して再開されて現在に至ります
ちなみに賀茂曲水宴では
葵祭(あおいまつり)の際に
毎年選ばれる斎王代(さいおうだい)が
1年の最後のお役目として
登場するのが特徴です
『歌を詠み・お酒を楽しんで飲む』
といった趣旨のもと宴が再現され
歌人によって綴られた短冊は神職によって回収され
『冷泉家時雨亭文庫
(れいぜいけしぐれていぶんこ)』
方がそれぞれの和歌を詠み上げます
※冷泉家時雨亭文庫とは、百人一首を選定した事で知られる藤原定家(ふじわらのていか)を祖に持つ「冷泉家」に伝わる文化財を保存・管理するために1981年(昭和56年)に設立された財団法人。
■曲水の宴(きょくすいのうたげ)
場所:城南宮(じょうなんぐう)
日にち:4月29日・11月3日
平安の庭園の『楽水苑(らくすいえん)』で
4月29日と11月3日の年に2回行われているんですね~♪
城南宮の曲水の宴では
白拍子(しらびょうし)の舞が
行われるのが特徴です
ちなみに城南宮の羽觴は
京都御所(きょうとごしょ)の杉の引き戸に描かれた
杉戸絵(すぎどえ)を元にしているんだそうですよ。
歌人らは目の前に羽觴が来ると
棒で羽觴を引き寄せ
上の乗っている盃を取り上げてお酒を頂き
変わりに石蕗(ツワブキ)と呼ばれる
黄色い花を盃に入れ再び羽觴を流します
綴られた短冊は水干(すいかん)姿の
童子の手によって回収され
『披講の席(ひこう)』へと持っていかれて
和歌が詠み上げられるんですね~
※「披講」とは詩歌などの会で作品を読み上げる事やその役の人を指します。
という事で京都で見れる曲水の宴を
ご紹介させていただきました♪
場所はコチラ↓