今回ご紹介するのは
京都市伏見区の三栖(みす)にある三栖神社御旅所
(みすじんじゃおたびしょ:金井戸神社(かないどじんじゃ))
で行われた
炬火祭(たいまつまつり:きょかさい)です!
672年(天武天皇元年)に起こった
壬申の乱(じんしんのらん)の際に
後の天武天皇(てんむてんのう:第40代天皇)となる
大海人皇子(おおあまのみこ)が
大津(おおつ:滋賀県)に向かう途中
この地を通ったそうで、その時、村人達が
篝火(かがりび)を焚いて暗闇を照らし
お迎えした事に由来する火祭なんですよ
ちなみに壬申の乱とは
古代日本最大の内乱で天智天皇
(てんじてんのう:第38代天皇)の
弟である大海人皇子と
天智天皇の息子である大友皇子
(おおとものみこ)による戦いです
※壬申の乱について詳しくは、松明殿稲荷神社の記事をご覧下さい。
京都市登録無形民俗文化財第48号と書かれています。
そんな壬申の乱にちなんだ
お祭である炬火祭は
毎年、三栖神社の神幸祭(しんこうさい)の日に
行なわれてきたもので
江戸時代の1700年(元禄13年)には
すでに行われていたそうです。
戦後、1959年(昭和34年)から一時期
途絶えてしまったんですけれど
1989年(平成元年)に復活しました~!
そして現在、三栖の炬火祭として
京都市登録無形民俗文化財に
指定されているんですね~
お祭では、三栖神社のご祭神である
天武天皇の御霊の乗ったお神輿が
三栖神社御旅所を出て竹田街道
そして京橋まで練り歩き
再び三栖神社御旅所まで巡行します
天武天皇の御霊の乗ったお神輿
その際、宇治川に自生する
葭(よし)を束ねた炬火(たいまつ)に
火を灯して暗闇を照らし
お神輿を先導する様子が
魅力的で人気があるんですね~
葭(よし)を束ねた炬火
一言に炬火といっても普通のサイズでは無く
芯の直径が1.2メートル
火をつける部分が4メートル
そして高さは約5メートルもある
超巨大な大炬火なんです!!!
ちなみに普通、たいまつという字は
『松明』と書くんですけれど
松では無く葭を使っているので
『炬火』と書くんですよ~
それでは早速レポートしていきましょう
※写真は過去のものを使っています。
三栖神社御旅所(金井戸神社)
午後19時頃に
三栖神社御旅所に到着すると
境内では、お神輿の前で
神事が行われていました
お神輿の前での神事
その後、高提灯や松明を持った
方々が境内の外に出ていきます!
そして20時頃になると三栖会館前は
お祭を一目見ようと
多くの人で賑わってくるんですね~
なぜならそこは超巨大な大炬火が
あるからなんです
しばらくすると氏子の方々が
大炬火の前に集まってきて
大炬火を横に倒し移動をします!
大炬火を横に倒している様子
大炬火は丸太2本でお神輿のようにしてから
大人32人で持ち上げるそうで
持ち上げた後、点火場所まで移動します
ちなみに大炬火に火を点ける前には
先端部分の真ん中に
かわいいお多福のお面が
取り付けられるんですよ~
お多福のお面が取り付けられる様子
これはどうもお祭の無事を祈って
取り付けられるようです
お多福のお面が取り付けられ
準備が整った所で
いよいよ大炬火に火が灯され
方向を変えた途端
いっきに炎が上がりました
大炬火
大炬火は
「あ~よいよいよ!あ~よいよいよ!」
という掛け声とともに練り歩くんですね~♪
お祭を見ている一般の方々も一緒に
掛け声を上げていましたよ~♪
ちなみに大炬火が側に来ると
顔が焼けるんじゃないかっていうくらい
とっても熱いんですよ~!
近くで見ていると
時々、バチバチという音が聞こえ
臨場感バッチリです
練り歩く大炬火
その大炬火の後ろには
天武天皇の御霊を乗せた、お神輿が後に続きます!
行列は竹田街道を
中書島駅付近から京橋まで北上し
そこで何度か大炬火を回転させ
その後、約15分程で火が消されて
大炬火以外は三栖神社御旅所
(金井戸神社)に戻るんですね。
火を消す際に大炬火を立てている様子。
ちなみに炬火の墨を家に持ち帰ると
火除けのご利益があるそうで
皆さん必死で拾っておられました
という事で今回は
三栖神社の炬火祭をご紹介しました♪
三栖神社の場所はコチラ↓