今回ご紹介するのは
京都市下京区の醒ヶ井(さめがい)にある
亀屋良長(かめやよしなが)の
烏羽玉(うばたま)です!
亀屋良長の烏羽玉は
『うばたま』や『ぬばたま』と呼ばれる
アヤメ科の多年草『ヒオウギ』の
光沢のある黒い種子を象った和菓子で
ひと月で4万個以上売れるといわれる
創業以来200年以上
ずっと作られている名物菓子なんですね
亀屋良長(かめやよしなが)
見た目がとっても綺麗で
宝石みたいに見えますよね~
チョコレートのように
見えるかも知れませんけれど
こちらは沖縄県の八重山諸島
(やえやましょとう)にある
日本最南端、波照間島
(はてるまじま)産の
黒糖を使ったこし餡を丸めて
寒天でコーティングし
上にケシの実を振りかけた
和菓子なんですよ
ちなみにヒオウギとは
祗園祭(ぎおんまつり)の際に
生けられるお茶花の事で
夏にオレンジの花を咲かせた後
袋状の実を作り、その実がはじけ
光沢のある黒い種子を見せるんですね。
その黒い種子が烏(からす)の羽の
濡れたように見える黒い羽
烏羽玉(うばたま)のように見える事から
『うばたま』や、それが訛って
『ぬばたま』ともいわれています
ちなみにぬばたまは
黒色を表す最も古い言葉ともいわれ
黒や夜にかかる和歌の枕詞としても
使われているんですよ♪
万葉集(まんようしゅう)では
「居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも」
「ぬばたまの黒髪変り白けても痛き恋には逢ふ時ありけり」
「ぬばたまの夜渡る月のさやけくはよく見てましを君が姿を」
「ぬばたまの夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを」
等、40首以上の和歌に使われています
亀屋良安の入り口
さて、そんな烏羽玉の名を冠した和菓子を
創業以来作り続けている亀屋良長は
江戸時代の1803年(享和3年)に
菓子司(かしつかさ)として
知られていた三条通小川の
亀屋良安の番頭だった初代が
亀屋良安から暖簾(のれん)分けをして
創業を開始したお店なんですね~
※菓子司とは、宮中の御用を務めた菓子屋。明治以降、御用達。
亀屋良安の看板
なんでも亀屋良安が火事に遭い
焼けてしまったそうなんですね
創業にあたって初代は
名水といわれる醒ヶ井が流れていたこの場所に
お店を構えました。
※醒ヶ井について詳しくは、左女牛井之跡の記事をご覧下さい。
亀屋良長にある醒ヶ井
ちなみに京都には
亀屋○○といった名前の和菓子屋さんが
沢山あるのをご存知ですか??
清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)の
亀屋清永(かめやきよなが)や
松風(まつかぜ)の亀屋陸奥(かめやむつ)を初め
亀屋伊織(かめやいおり)、亀屋重久(かめやしげひさ)
亀屋則克(かめやのりかつ)に亀屋廣清(かめやひろきよ)
亀屋良永(かめやよしなが)と
名前を上げ出したらきりがないようにも思います
これはかつて京都に
『五亀二鶴』と呼ばれる
5軒の亀屋と2軒の鶴屋の屋号を
持った和菓子屋があって
全てのお店が関係しているわけでは
ありませんけれど
現在の和菓子屋の多くが
これらから暖簾分け、または
何らかの関係があったお店と
いわれているんですね~
さしずめ京都の和菓子屋の
ルーツといった感じでしょうか♪
また、名前に亀や鶴といったものをつけるのは
縁起が良いとされていたんだそうですよ
亀屋良長の亀甲形の中に良と書かれた暖簾
さて、亀屋良長の烏羽玉を
実際に食べてみると・・・
亀屋良長の烏羽玉
口の中に入れると
ふわっと黒糖の風味が広がり
口の中でとろっととろけてしまうんです!
とっても上品な甘さがするんですよ
小さくてもすっごい満足感があります
『澄懐』と書かれた額
こちらは店内に掛けられていた
『澄懐(ちょうかい)』と書かれた額です。
これは亀屋良長2代目が定めた家訓なんだそうで
懐を誰に見られてもいいように
適正な利益をあげながら
事業を継続しなさいという意味なんだそうです!
利益を上げる事は良いが
暴利をむさぼらないようにという
戒めの言葉なんだと思います
持ち帰り用の烏羽玉の箱
そんな亀屋良長なんですけれど
やはり商売ですから、ずーっと
順風満帆というわけにはいかず
江戸時代末期に一度
お店が衰えた事があったようなんですね。
そんな時、ある1人の老人が門の前で
『氷餅(こおりもち)』という
和菓子の作り方を教えてくれたそうで
早速氷餅を作ってみると
茶人の間で評判となり、お店は
活気を取り戻したそうです
結局、この老人が何者であったのかは
定かではありませんけれど
近くの武信神社の使いであったとされています
そんな亀屋良長では
毎年7月の第1日曜日に水祭が開かれています。
という事で今回は京都の老舗菓子屋
亀屋良長の名物、烏羽玉をご紹介しました~
亀屋良長の場所はコチラ↓