今回ご紹介するのは
京都に古くからある伝説を
いくつかご紹介したいと思います
京都は、『魔界』と
表現する人がいるくらい
数々の伝説が各地に伝わっている
場所でもあるんですね
そしてそういった伝説は
うわさ話程度で終わらずに
能や狂言に取り入れられたりするものもあります
あなたの知らない京都が
まだまだあると思いますよ~
それでは早速、ご紹介していきましょう
■六道珍皇寺の冥土通いの井戸(ろくどうちんのうじのめいどがよいのいど)
場所:京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町59
六道珍皇寺には
平安時代前期の公卿(くぎょう)であった
小野篁(おののたかむら)が
あの世(冥土)とこの世を行き来するのに使ったとされる
冥土通いの井戸があります
篁は昼間は宮中に仕え
夜になると人間界から井戸を使って
冥土へ行き閻魔大王(えんまだいおう)の
裁判補佐をしていたと
いわれているんですね
ちなみに閻魔法王と言えば
あの世で裁きをしている
嘘をついたら舌を抜くという
あの閻魔様の事ですよ
何年か前に大ヒットした某映画の○子が
井戸から出てくるシーンがありましたけれど
あんな感じで篁が
出てきていたのかなと想像すると
かなり怖いですよね
※詳しくは、六道珍皇寺の記事をご覧下さい。
■京都御所の鬼門除けの猿(きょうとごしょのきもんよけのさる)
場所:京都市上京区京都御苑3
京都御所の鬼門にあたる北東の角
猿ヶ辻(さるがつじ)には
鬼門除けの猿の像が安置されています
鬼門というのは
方角を十二支で表現した場合に
丑寅(うしとら)にあたり
陰陽道では、鬼の出入りする方角とされ
避けなければならない方角とされていました。
そして北東と対角に位置する『申』を
『猿』とかけて鬼門除けの為に安置したんですね
そんな鬼門除けの猿なんですけれど
夜な夜な屋根から飛び出して
辺りで悪戯をしたと伝わっています
そういった事から鬼門除けの猿には
金網が張られて外に
飛び出さないようになっています
ちなみに猿ヶ辻は、猿が安置されるまでは
『つくばいの辻』と呼ばれていたそうです。
■永観堂の見返り阿弥陀(えいかんどうのみかえりあみだ)
場所:京都市左京区永観堂町48
紅葉の名所として知られる永観堂には
見返り阿弥陀と呼ばれる1体の阿弥陀像があります
1082年2月15日、永観(ようかん、えいかん)50歳の時
永観は、阿弥陀像の周りを
念仏して行道していたそうです
すると、突然・・・
阿弥陀像が壇を下りて
永観を先導し行道をし始めたんですね
それに驚いて永観が立ち尽くしていると
阿弥陀像が左肩越しに振り返って
「・・・永観、遅し」
と言ったといわれています
つまり!永観に対して
まだまだ修行が足りないぞ!
気を抜くでない!
といった事を伝えたんではないでしょうか
それ以降、この阿弥陀像の事を
『見返り阿弥陀』というそうです
■首塚大明神の鬼の首塚(くびづかだいみょうじんのおにのくびづか)
場所:京都市西京区大枝沓掛町
首塚大明神には
日本三大悪妖怪に数えられる
酒呑童子(しゅてんどうじ)という
大江山に住み着いていた
鬼の首が埋まっているとされる
首塚があります
京都の『心霊スポット』を紹介する
本やサイトに必ず出てくる
かなり有名な場所なんですよ~
酒呑童子は、都に出ては
悪さをしていたそうなんですけれど
一条天皇(いちじょうてんのう・第66代天皇)の
勅令で源頼光(みなもとのらいこう・よりみつ)と
配下の四天王により討伐されるんですね!
その時、退治した首を都に持って行こうと
現在の亀岡市と京都南部の境目にあたる
老ノ坂(おいのさか)で休憩したそうです。
そして再び出発しようと
首を持ち上げたんですけれど・・・・
なんと!まったく
持ち上がらなかったんですね
これでは持っていく事は出来ないので
その場に埋めて首塚を作ったといわれています
ちなみにこの時、首を持ち上げようとした人物は
熊と相撲を取る怪力の持ち主
そうですあの金太郎のモデルとなった人物
坂田金時(さかたのきんとき)です
金太郎でも無理なら
もう絶対持ち上がりませんよね。
※詳しくは、首塚大明神の記事をご覧下さい。
という事で、今回は
京都に古くからある伝説を
ご紹介させていただきました!