今回ご紹介するのは
京都市北区の紫野(むらさきの)にある
今宮神社(いまみやじんじゃ)の境内末社
![織姫神社(おりひめじんじゃ)](2015/06/24/01/2015-06-24-1.jpg)
織姫神社(おりひめじんじゃ)です!
織姫神社と聞いて
七夕伝説のおりひめ(織女)を
想像した方もいらっしゃるのではないでしょうか
織姫神社に七夕伝説のおりひめ(織女)を
お祀りしているワケではありませんけれど
織姫神社にお祀りされているご祭神
栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は
七夕伝説のおりひめ(織女)に
機織(はたおり)を教えたと
いわれているんですね
ですから全く関係無い事もないんですけどね
![額](2015/06/24/01/2015-06-24-4.jpg)
ご祭神である栲幡千千姫命については
また後ほどご紹介するとしまして
まずは織姫神社を簡単にご紹介したいと思います。
織姫神社は、もともと堀川通を挟んである
白雲村(しらくもむら)と
村雲村(むらくもむら)で織物の祖神として
祀られていたそうです
それから江戸時代に入り
氏子である西陣(にしじん)の機織業者が
今宮神社境内に遷(うつ)し
お祀りするようになったというんですね
その後、織姫神社の社殿が大破した事があったそうで
一時期、御旅所に神様の御霊を遷していたみたいですけれど
1792年(寛政4年)に再び、今宮神社境内に社殿を整え
戦後になってさらに現在の場所へと遷されたそうです
そして1969年(昭和44年)には
応仁の乱終結の日である11月11日を
『西陣の日』と定めたそうで
毎年その日になると関係者が見守る中
祭典が盛大に執り行われるようですよ
ちなみに西陣の地名の由来は
応仁の乱で山名宗全(やまなそうぜん)が
率いる西軍の陣をこの辺りに張ったから
そう呼ばれているんですね
※西陣や山名宗全について詳しくは、山名宗全邸宅跡の記事をご覧ください。
近年では、織物関係者のみならず
七夕伝説にちなんだ信仰とも重なって
若い人からの人気も高まっているみたいです
それでは早速、中に入っていきましょう
![今宮神社](2012/04/08/02/2012-04-08-14.jpg)
まずは織姫神社が今宮神社境内の
どの辺りにあるのかと言いますと・・・
今宮神社境内に入って
境内を突き当たりにある拝殿前まで行きます
![今宮神社の拝殿](2010/02/05/01/2010-02-05-3.jpg)
拝殿
そしてその本殿前を左手に進めば
目の前に織姫神社があるんですね
織姫神社は今宮神社の末社とは言っても
かなり大きな社殿で、とても立派なんです
![織姫神社](2015/06/24/01/2015-06-24-2.jpg)
織姫神社
織姫神社には冒頭でもご紹介しました
栲幡千千姫命がお祀りされていますよ!
栲幡千千姫命は
古事記(こじき)や日本書紀(にほんしょき)に
登場する女神の事で織物の祖神とされています
栲幡千千姫命の神名の
『栲』という字は、梶(かじ)の木の皮の
繊維で織った白色の「布」を
『幡』という字は「織」を
『千千』という字は「縮」を表しているそうで
これは、織物の地が縮んだ上質の織物
という意味のようです
また、天孫降臨で知られる
邇邇藝命(ににぎのみこと)の母でもあるんですね
※天孫降臨とは高天原(たかまがはら・天上界)から葦原中津国(あしはらのなかつくに・日本の国土の事)へ邇邇芸命(ににぎのみこと)が降り立った事です。天孫降臨について詳しくは、道祖神社の記事をご覧ください。
さらに技芸の神様としても信仰されているそうで
神社では、技芸上達のお守りも授与されているそうです。
本殿の前に建てられている
2本の棒のようなモミュメントは
織物を織る際に使用される『杼(ひ)』という
道具を表している献灯(けんとう)だそうで
杼は、別名シャトルとも言う
織物の経糸(たていと)の間に
緯糸(よこいと)を通すものなんですね♪
社の前には紋様の祖岡本尊行の業祖讃仰之碑や
染色図案家、稲田玉鳳の顕彰碑がありました
![稲田玉鳳の顕彰碑](2015/06/24/01/2015-06-24-3.jpg)
稲田玉鳳の顕彰碑
そんな織姫神社では毎年
11月11日の西陣の日に行われる記念式典の他
8月7日(旧暦7月7日)の例祭
そして10月1日のネクタイ供養等が行われています
![ネクタイ供養](2012/10/01/01/2012-10-01-4.jpg)
という事で今回は今宮神社末社である
織姫神社をご紹介しました!
今宮神社を訪れた際には
こちらの織姫神社にも是非お参りしてみて下さいね
織姫神社のある今宮神社の場所はコチラ↓