今回ご紹介するのは
京都市上京区にある
![松永稲荷社(まつながいなりしゃ)](2015/06/17/01/2015-06-17-2.jpg)
松永稲荷社(まつながいなりしゃ)です!
松永稲荷社は
いつ頃、創建されたのかはわかっていないんですけれど
この地は安土桃山時代に
あの!天下人・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が建てた
聚楽第(じゅらくてい)の
南二ノ丸南堀があった場所にあたるようです
※聚楽第は、『じゅらくだい』とも言われます。
松永稲荷社の前の石碑には
『聚楽城 鵲橋之旧蹟(じゅらくじょうかささぎばしのきゅうせき)』
と刻まれた石碑があって、松永稲荷社の場所が
聚楽第の遺構という事を示しているんですね
![聚楽城 鵲橋之旧蹟と刻まれた石碑](2015/06/17/01/2015-06-17-1.jpg)
聚楽城 鵲橋之旧蹟と刻まれた石碑
それにしても聚楽第という名前は知っていても
どういった建物なのか知らない人も多いのではないでしょうか
お城なら○○城ですし
お寺なら○○寺や○○院
というネーミングなのに
聚楽第とは一体・・・
第って何?第って・・・
気になりますよね~?
歴史の教科書でもお馴染みの宣教師
ルイスフロイスの『日本史』によると
聚楽第は秀吉自らが命名した
絢爛豪華な政庁兼邸宅の事みたいですよ
つまり!聚楽第の第とは、邸宅の意味だったんですね
ちなみに聚楽の意味は
『悦楽と歓喜の集合』と
いうことなんだそうです
そんな聚楽第には
4つの曲輪(くるわ・城の囲い)や
本丸、北ノ丸、南二ノ丸、西ノ丸
そして天守閣があったといわれています
邸宅といってもほぼ『お城』ですよね
それで石碑に聚楽城と書かれていたワケです。
![松永稲荷社](2015/06/17/01/2015-06-17-3.jpg)
そして石碑に書かれていた
『鵲橋之旧蹟』の鵲橋とは
聚楽第の堀に架かっていた
橋の事なんですよ
鵲橋と聞いて
どこかで聞いたような名前・・・
と思っている方もいるかも知れませんね。
鵲橋は、7月7日の七夕の日
織姫と彦星が出会う際に
天の川の上に架けられる
鵲(かささぎ)が作る橋の名前です
この事から鵲橋は
男女の良縁を結ぶ事を意味するそうです
そこから名前を取っているかはわかりませんけれど
オシャレな名前である事は間違いないですよね
ちなみに1961年(昭和36年)に行われた
発掘調査では、この地から
欄干などが出土したそうですよ
さて、その鵲橋旧蹟に建つ松永稲荷社には
松永稲荷大明神と
鵲大明神、白玉大明神がお祀りされています
![鵲大明神と書かれた石碑](2015/06/17/01/2015-06-17-5.jpg)
鵲大明神と書かれた石碑
![白玉大明神と書かれた石碑](2015/06/17/01/2015-06-17-6.jpg)
白玉大明神と書かれた石碑
今では聚楽第の影も形も
無くなってしまっていますけれど
市内各地には聚楽第の史跡と言われている所が
随所にあるので、気になった方は
『聚楽第の史跡巡り』の記事の読んでみて下さいね♪
というワケで今回は松永稲荷社をご紹介しました
松永稲荷社の場所はコチラ↓