今回ご紹介するのは

京都市上京区にある


松永稲荷社(まつながいなりしゃ)

松永稲荷社(まつながいなりしゃ)です!


松永稲荷社は

いつ頃、創建されたのかはわかっていないんですけれど

この地は安土桃山時代に

あの!天下人・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が建てた

聚楽第(じゅらくてい)の

南二ノ丸南堀があった場所にあたるようです


※聚楽第は、『じゅらくだい』とも言われます。


松永稲荷社の前の石碑には

『聚楽城 鵲橋之旧蹟(じゅらくじょうかささぎばしのきゅうせき)』

と刻まれた石碑があって、松永稲荷社の場所が

聚楽第の遺構という事を示しているんですね


聚楽城 鵲橋之旧蹟と刻まれた石碑

聚楽城 鵲橋之旧蹟と刻まれた石碑


それにしても聚楽第という名前は知っていても

どういった建物なのか知らない人も多いのではないでしょうか


お城なら○○城ですし

お寺なら○○寺や○○院

というネーミングなのに

聚楽第とは一体・・・

第って何?第って・・・


気になりますよね~?


歴史の教科書でもお馴染みの宣教師
ルイスフロイスの『日本史』によると
聚楽第は秀吉自らが命名した
絢爛豪華な政庁兼邸宅の事みたいですよ


つまり!聚楽第の第とは、邸宅の意味だったんですね


ちなみに聚楽の意味は
『悦楽と歓喜の集合』と
いうことなんだそうです


そんな聚楽第には

4つの曲輪(くるわ・城の囲い)や

本丸、北ノ丸、南二ノ丸、西ノ丸

そして天守閣があったといわれています


邸宅といってもほぼ『お城』ですよね

それで石碑に聚楽城と書かれていたワケです。


松永稲荷社

そして石碑に書かれていた
『鵲橋之旧蹟』の鵲橋とは
聚楽第の堀に架かっていた
橋の事なんですよ


鵲橋と聞いて

どこかで聞いたような名前・・・

と思っている方もいるかも知れませんね。


鵲橋は、7月7日の七夕の日
織姫と彦星が出会う際に
天の川の上に架けられる
鵲(かささぎ)が作る橋の名前です


この事から鵲橋は

男女の良縁を結ぶ事を意味するそうです


そこから名前を取っているかはわかりませんけれど

オシャレな名前である事は間違いないですよね


ちなみに1961年(昭和36年)に行われた
発掘調査では、この地から
欄干などが出土したそうですよ


さて、その鵲橋旧蹟に建つ松永稲荷社には

松永稲荷大明神と

鵲大明神、白玉大明神がお祀りされています


鵲大明神と書かれた石碑

鵲大明神と書かれた石碑


白玉大明神と書かれた石碑

白玉大明神と書かれた石碑


今では聚楽第の影も形も

無くなってしまっていますけれど

市内各地には聚楽第の史跡と言われている所が

随所にあるので、気になった方は

聚楽第の史跡巡りの記事の読んでみて下さいね♪


というワケで今回は松永稲荷社をご紹介しました

松永稲荷社の場所はコチラ↓

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