今回ご紹介するのは
京都市伏見区(ふしみく)にある
御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の
例祭(れいさい)です!
御香宮神社は、もともと
『御諸神社(みもろじんじゃ)』と称していたそうですが
平安時代の862年(貞観4年)9月9日に
良い香りのする水、つまり御香水(ごこうすい)が
湧き出したことで、名前が変わることになりました。
御香水を病人に飲ませると
不思議と病が治ったということから
清和天皇(せいわてんのう・第56代天皇)より
御香宮の名を賜ったといわれているんですね~
境内にある御香水
そんな御香宮神社では、毎年4月17日に
例祭が行われています。
例祭では、本殿神事の他に
舞楽(ぶがく)や仕舞(しまい)が
奉納されているんですよ
ちなみに、神社における例祭とは
その神社で最も大事な神事のことです。
それでは早速レポートしていきましょう♪
午前11時頃に御香宮神社に到着すると
境内には祭典の準備がされていました
境内には関係者の他
一般の方も座れるようにパイプ椅子が
並べられていましたよ。
しばくらすると
本殿横にある社務所から神職の方や
雅楽を奉納する方達が出てこられ
手水の儀を行います
余談ですけれど雅楽を奉納されていたのは
女人厄除けで有名な市比賣神社(いちひめじんじゃ)の
いちひめ雅楽会の方でした♪
その後、本殿や割拝殿の中へと進みます。
神事が始まると、まずは
身の罪穢(つみけがれ)を祓(はら)うため
修祓(しゅばつ)を行います。
修祓
神様は罪穢を嫌いますから
神様をお招きする前に清めるという事ですよね~
そして宮司一拝の後
いよいよ神様をお招する為に
宮司が警蹕(けいひつ)共に御簾(みす)を上げます
警蹕とは、神社等で神事の最中に
神職の方が「オー」と声を出して
周囲の人に不敬をしないよう警告することです。
警蹕のときは動かずに
その場で低頭しなければなりません。
多くの場合、本殿の御扉の開閉時や
神輿等に御霊を移す際に行います。
本来であれば御簾では無く
普段閉じられている本殿の御扉を開くんですけれど
今回はすでに御扉が開けられていましたので
神様の前にかけられていた御簾を上げていました
その後、神様への神饌(しんせん)をお供えする
献饌の儀(けんせんのぎ)を行って
宮司が祝詞(のりと)を奏上(そうじょう)します
神饌の中には御祭神の
神功皇后(じんぐうこうごう)にゆかりのある
鮎(アユ)が含まれていました♪
これは神功皇后が新羅(しらぎ)に遠征する前に
川で釣りをしていた際
「新羅の遠征に成功するなら、魚よかかれ!」
という占いをした所、見事に釣れた魚が
鮎だった事に由来しています。
だからアユという字は魚辺に占って書くんですね
その後、祝詞奏上に続いて
神賑奉納(しんしんほうのう)が行われます。
まず、いちひめ雅楽会の方々による
舞楽『蘭陵王(らんりょうおう)』が奉納されましたよ。
蘭陵王は、中国の南北朝時代の北斉(ほくせい)の皇族
高長恭(こうちょうきょう)のことで
容姿が美しく優しい顔立ちであった為に
戦の時は自軍の兵が見とれてしまわないよう
獰猛(どうもう)な仮面を被って出陣したといわれています
そんな蘭陵王に由来する舞なんですよ
蘭陵王の華麗な舞はこちらの動画をご覧ください。
続いて、御香宮神能会よる
仕舞『高砂(たかさご)』と『羽衣(はごろも)』が
奉納されます。
高砂は、高砂の松と住吉の松が
相生の松といわれているゆえんを神様に教わるお話です。
羽衣は、羽衣を落とし
空を飛べなくなってしまった天女と
その羽衣を拾った漁師のお話です。
※羽衣伝説が有名ですよね♪
高砂の松、羽衣の様子はこちらの動画をご覧ください。
神賑奉納が納められた後は
関係者による玉串奉奠(たまぐしほうてん)等を行い
神事は無事お納めされました!
※ちなみに神賑奉納行事は毎年変わるそうです。
例祭を椅子に座りながら
ゆっくりと真正面から見られる所は
なかなかないので神事を見てみたい!
という人にはオススメです
そんな例祭が行われた御香宮神社の場所はコチラ↓