今回ご紹介するのは

京都市中京区にある


空也堂(くうやどう)

空也堂(くうやどう)です


空也堂

平安時代、空也(くうや)が

三条櫛笥(さんじょうくしげ)に創建したといわれ

ご本尊も空也立像という事から

空也堂と呼ばれています


※櫛笥道場や市中道場とも呼ばれていたようです。


天台宗のお寺で
正式名称を光勝寺極楽院
(こうしょうじごくらくいん)と言い
山号は紫雲山(しうんざん)と言います
ちなみに光勝(こうしょう)という名前も
空也の僧名なんだそうですよ


こま札

その後、1467年(応仁元年)から始まる

応仁の乱によってお寺は焼失

東山西光寺に合併となるんですけれど

1634年(寛永11年)に

東福門院(とうふくもんいん:徳川和子)が

現在の場所を寄進し再興したみたいです


この頃、空也堂では
門前の敲町(たたきちょう)で
11月13日の空也の命日から
大みそかまでの48日間
鉢や瓢箪を竹の枝で叩きながら念仏を唱え
勧進を行う鉢叩(はちたたき)が
行われていたそうです


ここで空也について簡単にご紹介しますと・・・


空也は平安時代のお坊さんで
お寺を持たずにいつも町の中で
農民にも広く仏教(浄土教)を
説いたとされている事から
市の聖(いちのひじり)とも
呼ばれている人物です


その布教の仕方は変わっていて

踊りながら南無阿弥陀仏の念仏を唱える

『踊念仏(おどりねんぶつ)』だったと

伝わっているんですね


今ならダンスをしながら

念仏を唱えたという事でしょうか


また、都名所図会によると

空也は若い頃

鞍馬寺で修行をしていた際

鹿の鳴き声に癒されていたそうです


けれどある時から

鹿の鳴き声が聞こえなったそうで

修行を終えて山を降りた際に

鹿を抱えた平定盛(たいらのさだもり)と出会い

定盛が持っていたその鹿が

実は自分が気にかけていた

鹿だったとわかるんですね


空也は大変悲しみ、鹿の皮と角を譲り受け
角は杖の先に(鹿角杖(わさづえ))
皮は自分の衣服として
生涯まとったといわれています。


鹿角杖等の寺宝

お寺に伝わる鹿角杖等の寺宝です。


その後、定盛は鹿を殺した事を悔やみ

空也に帰依したそうですよ。


地蔵尊

こちらは山門をくぐった

左側に安置されている地蔵尊です。


こちらは本堂になります。


本堂

関係者の方のお話によると

1864年(元治元年)に起こった

蛤御門の変(禁門の変)によって本堂が焼失し

その後、洛北の廃寺となった堂宇を

移築し本堂としているみたいです。


ちなみに空也堂は通常非公開の
お寺なんですけれど
毎年、11月第2日曜日に行われている
空也忌(くうやき)の法要の日には
中に入る事が出来るんですね~


空也忌では

空也の踊念仏である

歓喜踊躍念仏踊(かんきゆやくおどりねんぶつ)や


歓喜踊躍念仏踊の様子

歓喜踊躍念仏踊


歓喜踊躍念仏踊が起源とされる

六斎念仏(ろくさいねんぶつ)も


六斎念仏の様子

六斎念仏

奉納されるんですよ


そんな空也ゆかりのお寺

空也堂の場所はコチラ↓


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