今回ご紹介するのは
粟田神社(あわたじんじゃ)で行われている
出世えびす祭(しゅっせえびすまつり)です!
この出世えびす祭は
粟田神社で毎年1月9日から11日までの
3日間行われているもので
期間中は粟田神社摂社の
出世恵美須神社(しゅっせえびすじんじゃ)の
御神像である恵美須像が公開されるんですよ♪
ちなみに1月10日は
通称『えべっさん』で知られる
七福神の『えびす様(恵比寿神)』と
同一視されている神様
『事代主(ことしろぬし)』の
生まれた日である事から
関西を中心に『えびす祭』が
各地で行われています
えびす祭は商売繁盛・家内安全・交通安全を願い
年初めの『縁起物』(福笹・熊手)を求めて
多くの人が参拝するんですね
京都では恵美須神社の十日ゑびす大祭(とおかえびすたいさい)や
蛭子社祭が有名なんです♪
※詳しくは、十日ゑびす大祭(初ゑびす)-2014年1月8日~12日(イベント情報)、えびす船巡行 2013(八坂神社・北向蛭子社)の記事をご覧ください。
では早速レポートしていきましょう
10時頃に粟田神社に行くと
境内ではお正月によく流れている
越天楽(えてんらく)のような音楽が流れていて
『出世えびす』と書かれた
のぼりが何本も立っていましたよ
雅楽の音色が聞こえてくるだけでも
テンションが上がりますよね
境内に置かれていた案内板に従って
まずは本殿にお参りをしてから
出世恵美須神社に向かいました♪
こちらの出世恵美須神社は
創建がいつ頃なのかはわかっていないそうですけれど
もともとは三条蹴上(さんじょうけあげ)の
夷谷にあったそうです
※三条蹴上は粟田神社より300m程東にある場所です。
けれど500年以上前に起こった
蹴上の山崩れによって土砂とともに
三条神宮道付近まで流されたといわれています
※神宮道は平安神宮正面から円山公園へと通る南北の道です。粟田神社から西へ200m程の所を走っていて、青蓮院(しょうれんいん)や知恩院の前を通る道でもあるんです。
現在その場所は、今でも夷町といって
町名に名残が残っているんですよ
その後、青蓮院の塔頭であった
金蔵寺(こんぞうじ)に
移されていたそうなんですけれど
明治の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)のおりに
粟田神社に移ってきて現在に至るんですね
※神仏分離令について詳しくは、お別れ地蔵の記事をご覧ください。金蔵寺は現在は廃寺となっています。
全国に恵美須様がお祀りされていますけれど
これだけいろいろな場所に移った
恵美須様も珍しいのではないでしょうか
そして冒頭でも触れましたけれど
出世恵美須神社では
1月9日から11日までの3日間しか
見る事が出来ない
恵美須像がご開帳となっているんですよ~
それがこちらになりますっ!
粟田神社の恵美須像は、現存する恵美須像としては最古級の寄木造りと伝わっているそうです。
恵美須像は
比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を
開いた事で知られる伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)の作と伝えられていて
他の恵美須様とは少し変わっている
めずらしい恵美須様なんです!!
具体的にどの変が変わっているのかと言いますと・・・
なんだかよく見るお姿より少し痩せていて
しかも、かなりの大口を開けてますよね
正直、ここまで笑っている恵美須像は
はじめてみました!
今まで見たことのある恵美須像は
笑ってはいても微笑むくらいのものだったんですけれど
粟田神社のえびす様は
めちゃくちゃ笑っています
ここまで笑顔の恵美須様を見ると
なんだかすっごく福がありそうな気がしますよね♪
ちなみに粟田神社の恵美須像は
通称・出世恵美須(しゅっせえびす)や
門出恵美須(かどでえびす)呼ばれています。
これは1174年(承安4年)
源義経(みなもとのよしつね)が
まだ牛若丸(うしわかまる)と名乗っていた幼少期
奥州平泉(おうしゅうひらいずみ)の
藤原秀衡(ふじわらのひでひら)のもとに行く際に
三条蹴上夷谷にあった恵美須像に
源氏再興の祈願をしたとされ
その後、源氏の再興を果たした事からなんですね
※源義経について詳しくは、源義経ゆかりの地巡りの記事をご覧ください。
甘酒が温められています。
境内では甘酒が振る舞われていたので
恵美須像にお参りした後に頂いて
その後、恵美須様の御神徳を授かれるようにと
福徳の笹である七福笹を買いました~
こちらが福徳の笹です!
という事で今回は
普段は見れない恵美須像が見れる
出世えびす祭をご紹介しました
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