今回ご紹介するのは

下京区にある

朝日神明宮

朝日神明宮(あさひしんめいぐう)です!


朝日神明宮はもともと

清和天皇(せいわてんのう・第56代)の頃

貞観(じょうがん)年間(859~877年)に

倭姫命(やまとひめのみこと)のお告げにより

丹波国桑田郡穴生村(現在の亀岡市)に造営したと言われ

その後、1572年(元亀3年)にこの地に移ってきたんだそうですよ

※倭姫命は、倭建命(やまとたけるのみこと・日本武尊)の叔母です。


こま札

かつては広大な広さの境内だったようで

南北は、五条通から松原通まで

東西は、河原町通から富小路通まであったそうです


朝日神明宮と書かれた札

簡単に大きさをご説明しますと

近くにある西本願寺(にしほんがんじ)や

東本願寺(ひがしほんがんじ)くらいの

大きさだったというわけなんですね~


末社には

竈神社(かまどじんじゃ)

稲荷社(いなりしゃ)

祓川社(はらいかわしゃ)

恒情神社(こうじょうじんじゃ)

人丸社(ひとまろしゃ)

飛梅天神(とびうめてんじん)

八幡春日社(はちまんかすがしゃ)

猿田彦社(さるたひこしゃ)(幸神社

の8社があったと言われています


しかし1788年(天明8年)に起こった

天明の大火(てんめいのたいか)や

1864年(元治元年)の

禁門の変(きんもんのへん)(蛤御門の変)によって

大半が焼失してしまい

今では猿田彦社のみが残っている状態なんです。


ちなみに、かつて境内には

『幸神の森(さいのかみのもり)』と呼ばれる

広大な森があったんだそうですよ


しかし現在はその大きさの面影はなく

小路の脇にひっそりと佇んでいます。


ではさっそく中に入っていきましょう


石鳥居

境内に入るとすぐに石鳥居があって


拝殿

拝殿がありました。


拝殿の中に本殿があるのですけれど

本殿

朝日神明宮のご祭神は

神明の名からも想像出来るように

天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られているんですよ。

※天照大神は太陽を神格化した神様で、皇祖神です。


そして相殿には倭姫命が

お祀りされているそうです


ちなみに明治時代に発刊された観光本

『京都名所案内図会(きょうとめいしょあんないずえ)』には

神明二十一ヶ所の19番に

数えられている記録が残されています

※神明二十一ヶ所とは、京都市内の中で主だった21の神明社の事です。


京都名所案内図会によると

順番は以下のとおりのようです。


1番 吉田神社 ノ内

吉田神社の斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)

2番 下御霊社 ノ内

下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)

3番 長福寺 ノ内寺町

4番 塔壇宮家 ノ内

5番 上御旲社 ノ内

上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)

6番 柳原川勝辻子

7番 北野真盛町

北野天満宮(きたのてんまんぐう)

8番 櫻之宮 出水

桜宮神社(さくらのみやじんじゃ)

9番 高松 姉小路

高松神明神社(たかまつしんめいじんじゃ)

10番 佛光寺新町

菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)

11番 京極四條辻

12番 四條大和大路

13番 三條粟田口東

粟田神社(あわたじんじゃ)

14番 粟田神明山上

日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)

15番 八坂神社 ノ内

16番 霊山正法寺

※正法寺(しょうほうじ)

17番 若宮社 ノ内

若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう )

18番 稲荷神社 ノ内

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)

19番 朝日神明

※朝日神明宮(あさひしんめいぐう)

20番 富小路五條北

剣神社(つるぎじんじゃ)

21番 頼政神明

神明神社(しんめいじんじゃ)


現在はすでに無くなっていたり

名称が変わっていたするので

少しわかりにくいですけれど

19番はわかりますよね


そして先ほどもお話しました

唯一残った末社は拝殿の裏にあります。


大きな木が残る朝日神明宮

大きな木がかつての

幸神の森の名残をとどめているんでしょうか


猿田彦社

猿田彦社です。


ご祭神は猿田彦命(さるたひめのみこと)と

宇壽女命((あめの)うずめのみこと)を

お祀りしています。


この2柱の神様がお祀りされているという事は

縁結びのご利益があるという事ですね


この二柱は・・・

実はご夫婦なんですよ~

※猿田彦命と宇壽女命について詳しくは、道祖神社の記事をご覧ください。


猿の親子の石像

こちらは境内にあった猿の親子の石像です。


そして猿田彦社には

御石

2つの御石があり

なんと!空から降ってきたと言われています


こちらは境内の前にあった石碑です。

石門心学修正舎と書かれた石碑

石門心学修正舎(せきもんしんがくしゅうせいしゃ)と書かれていて

石門心学とは、江戸中期の思想家である

石田梅岩(いしだばいがん)を開祖とする

倫理学なんだそうですよ。


1911年(明治44年)に万寿寺町(まんじゅうじちょう)から

移転してきたそうですけれど

現在は、石碑だけが残っています。


そんな朝日神明宮の場所はコチラ↓


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