今回ご紹介するのは
京都市の右京区にある
阿刀神社(あとじんじゃ)です!
近くには広沢池(ひろさわいけ)や
大覚寺があるんですよ
阿刀神社は創建などについて
詳しい事はわかっていないそうなんですけれど
味饒田命(うましにぎたのみこと)を
お祀りしていると言われています。
味饒田命は
阿刀氏の祖と言われている神様なんですよ
阿刀氏と聞いて
ピン!と来た方もいらっしゃると思いますけれど
弘法大師・空海のお母さんの
一族としても知られていますよね。
※詳しくは、石上神社の記事をご覧ください。
なぜ阿刀氏の祖と言われているのかと言いますと
阿刀氏は物部氏(もののべし)の氏族・・・
つまり共通の祖先を持つと考えられているからなんです。
※物部の「物」は武器を指し示すものであり大和朝廷に於いて武器を扱い管理する部民でした。また崇仏論争(蘇我氏vs物部氏)で敗れたことで知られています。崇仏論争について詳しくは、護王神社 その2の記事をご覧下さい。
そんな物部氏の氏神である
饒速日命(にぎはやひのみこと)の孫にあたるのが
味饒田命と言うわけなんですね
※饒速日命は天孫降臨で知られる邇邇芸命(ににぎのみこと)の兄です。天孫降臨について詳しくは、道祖神社の記事をご覧ください。
また阿刀氏はもともと
河内国(かわちのくに)渋川郡(しぶかわのこおり・しぶかわぐん)跡部の
本拠辺り(現在の大阪府八尾市)に
住んでいたそうなんですけれど
平安京遷都(794年)に伴ってこちらの地に
移ってきたみたいですよ~。
その際に味饒田命もお祀りしたんだそうです
ちなみに阿刀神社は
江戸時代から明治時代の初め頃まで
大神宮社(だいじんぐうしゃ)とも呼ばれていたみたいで 一説には天照大神をお祀りしているとも言われています。
では、そんな諸説ある阿刀神社を
早速レポートしていきましょう
阿刀神社は丸太町通り(187号線)沿いに入り口があります。
こちらの石碑を見て頂ければわかると思いますけれど
なんと、駐車場の横の細い道の先にお宮があるんですね♪
石碑には式内社(しきないしゃ)と書かれていました。
神社には式内社と式外社(しきげしゃ)があり
式内社は、927年に編纂された延喜式(えんぎしき)の
神名帳(じんみょうちょう)に記載された神社の事なんですよ。
※延喜式とは平安時代に、藤原時平らが中心となって作られた(律令の)施行細則です。ちなみに式外社というのは、それ以外の神社やさらに後に建てられたものを言います。
つまり、阿刀神社は
とっても古い神社というわけですよね
お宮へと続く参道を
約50メートル程行くと
鳥居が見えてきましたよ
でも実は神名帳には記載されていたんですけれど
明治の初め頃までは所在が
わからなくなっていたみたいです
お宮
何となくの場所は判明していたので
地元の方に尋ねてみると
小さな祠があった事から
お宮のアップ
阿刀神社であるとしたそうなんですね。
こちらは御神木です。
延喜式内並国史見在神社考証(えんぎしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)にも 阿刀神社の絵図の中で、この御神木が描かれています。
※延喜式内並国史見在神社考証とは、京都府管内の延喜式内神社(「延喜式」に記載された神社)及び国史見在神社(「六国史」に記載がある神社)について、明治初年に所在などを確定しようとした一連の調査のなかで、作成された資料の事です。
ちなみに昔はこの阿刀神社よりも東が
嵯峨野(さがの)と言われる地域に
なっていたんだそうですよ。
例祭も行われるようです♪
そんな阿刀神社の場所はコチラ↓
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