今回ご紹介するのは
京の六地蔵巡りの1つ
上善寺(じょうぜんじ)です!
上善寺は浄土宗のお寺で
山号は千松山(せんしょうざん)です。
863年(貞観5年)
遣唐使(けんとうし)として唐にも渡った高僧
慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)が
天台宗の道場として千本通今出川に
創建したのが始まりと言われているんですね
その後、文明年間(1469~1487年)に
春谷盛信(しゅんこくせいしん)が
天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)として
再興します。
この時、お寺の名前も上善寺となったそうですよ。
そしてこの頃、後柏原天皇(ごかしわらてんのう・第104代天皇)の
勅願寺となったと言われています
その後、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の京都都市計画によって
1594年(文禄3年)に現在の場所に移転となりました。
その際に、天台宗から浄土宗へと改宗されたと伝わっているんですね~
では早速レポートしていきましょう
山門をくぐり、右手に見えるのが
天道大日如来坐像です!
こちらの石仏は鎌倉時代中期のもの
なんだそうですよ。
山門からまっすぐ歩いて
目の前に見えているのが本堂です
本堂
本堂には上善寺のご本尊である阿弥陀如来が安置されています。
1634年(寛永11年)に嵯峨今林蓮華清浄寺(さがいまばやしれんげせいじょうじ)から
移されたもので、行基(ぎょうき)の作とも伝えられているそうですよ
行基は、東大寺の大仏建立の際に
協力した大僧正(だいそうじょう)ですよね
※大僧正とは、僧侶で最も高い地位の事です。ちなみに初代は行基なんですよ。
そして本堂右手には庫裏があり
境内の西側に地蔵堂があります。
地蔵堂
ちなみに上善寺が六地蔵巡りの1つとして数えられるのは
こちらに安置されている鞍馬口地蔵とも呼ばれる
地蔵菩薩があるためなんですね
六地蔵とは
平安時代に小野篁(おののたかむら)が
地獄に行った際に亡者を救っている地蔵菩薩を見て
大変感激し、この高徳を広めようと
木幡山(こはたやま)の桜の一木から
六体の地蔵を彫ったのが始まりとされているんですね。
え?地獄って何
って思った人もいるかも知れませんけれど
この小野篁という人物
あの地獄の閻魔様に使えていたという伝説を持っている人なんですよ~
※小野篁について詳しくは六道珍皇寺、千本ゑんま堂(引接寺)の記事をご覧下さい。
地蔵堂右手にある地蔵
この地蔵菩薩を含め
六地蔵はもともと伏見の大善寺にあったと言われています。
後白河法皇(ごしらかわほうおう)の命により
平清盛(たいらのきよもり)が西光法師(さいこうほうし・後白河法皇の側近)に
六角堂を建てさせました
都の入り口である街道の6ヶ所に建てると
地蔵菩薩を一体ずつ安置し
祀ったんですよ。
つまり京都の入口にあたる場所に
それぞれ地蔵を建てる事によって
旅の安全や都に邪気が入ってくるのを
防ぐ目的だったんですね
元々、この地蔵菩薩は洛北の深泥池畔に安置されたんですけれど
その後、明治の廃仏毀釈の空気の中でこの地に移されたというわけなんですね。
※廃仏毀釈について詳しくは泉涌寺 その1の記事をご覧下さい。
そのため、深泥池地蔵とも呼ばれたりするんですよ
また、六地蔵巡りの1つである源光寺の
乙子地蔵(おとごじぞう)に対し
姉子地蔵とも呼ばれるようです。
※乙子地蔵は常盤谷地蔵(ときわだにじぞう)と言います。
そしてその六地蔵を巡るのが
京の六地蔵巡りなんですね
8月22日~23日に、6つの街道に祀られた地蔵菩薩を巡礼し
家内安全、無病息災などのご利益を得る行事です。
1番・大善寺(奈良街道)
2番・浄禅寺(西国街道)
3番・地蔵寺(丹波街道)
4番・源光寺(周山街道)
5番・上善寺(若狭街道)
6番・徳林庵(東海道)
以上の6つを期間内に回るんですね
この上善寺では六地蔵巡りが行われる
毎年8月22日、23日に
盂蘭盆会供養(うらぼんえくよう)が行われ
六斎念仏(ろくさいねんぶつ)が奉納されます。
京都の六斎念仏保存会の1つである
小山郷六斎会(こやまごうろくさいかい)の方たちにより
奉納されるんですよ
※詳しくは盂蘭盆会供養 2012(上善寺)の記事をご覧下さい。
この他、上善寺境内墓地には
長州人首塚があり、入江九一(いりえきゅういち)をはじめ 蛤御門の変(禁門の変)で散った志士の塚があります。
入江九一は、吉田松陰(よしだしょういん)の弟子の中でも
特に優れた者として松門四天王(しょうもんしてんのう)の1人に
数えられた人物なんですよ~
ちなみに残りの人物は・・・
久坂玄瑞(くさかげんすい・くさかげんずい)
高杉晋作(たかすぎしんさく)
吉田稔麿(よしだとしまろ)です。
※蛤御門の変(禁門の変)について詳しくは木屋町界隈の史跡 その1をご覧下さい。
そんな上善寺の詳しい場所はコチラ↓
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