今回ご紹介するのは
現在、一初(イチハツ・アヤメ科の花)観賞会と
『戒壇めぐり(かいだんめぐり)』が行われている
得浄明院(とくじょうみょういん)です。
戒壇めぐりについては後ほど
ご紹介させて頂きます
得浄明院は通常非公開のお寺ですけれど
毎年、一初の見ごろに合わせ
特別公開されているんですね。
※ちなみに2014年は4月29日から5月13日まで公開されています。また、最終日には式包丁の奉納もあるそうです。
そして境内には
約200本の一初と約1000本のアヤメが
植えられているんですよ~
凄い数ですよね。
では早速レポートしていきましょう♪
得浄明院は京都のお寺としては珍しく
明治に建てられた比較的新しいお寺なんです
長野県は信州善光寺(ぜんこうじ)の京都別院の尼寺として
1894年(明治27年)に
伏見宮家第3皇女の誓圓尼(せいえんに)が
兄である知恩院宮尊超入道親王(そんんちょうにゅうどうしんのう・華頂宮)の 華頂宮御殿を受け継いで創建されました。
本尊も信州善光寺の本尊である
一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)の
分身が安置されています。
京都から長野までは
かなりの距離があって交通の便も悪く
牛に引かれて善光寺参りとは
なかなか難しかったことから
別院を建てたともいわれています
『牛に引かれて善光寺参り』とは、ことわざで
思いがけない偶然や他人の誘いで良い方面に
導かれることのたとえなんですね。
ちなみに尼寺三十六所巡礼の第10番にもなっています。
誓圓尼について少し解説しますと
明治に行われた神仏分離令によって出来た
廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の空気の中で
皇族にも還俗するよう強要されたそうです。
※廃仏毀釈について、詳しくは泉涌寺の記事をご覧下さい。
しかし彼女は
「仏教に固く誓った身であるから
この度の仰せには従えない!」
として従わず善光寺を
廃仏毀釈から守った人物なんですね
ちなみに得浄明院は京都の東山にあって
人気の観光スポットが近くにあるんですよ♪
山門から境内をパシャリ
こちらは白天龍王社で
芸事の神様として信仰されています
もともとは大阪にあったものだそうですけれど
戦時中、大阪の空襲から逃れさせる目的で
この地に移されたそうですよ。
大きさは信州善光寺と比べて小さいですけれど、信州善光寺と同型だそうです。
そしてこちらが本堂になります。
本堂の下には信州善光寺と同じように
戒壇めぐりが出来るようになっているんですね。
ちなみに戒壇めぐりとは・・・
ご本尊の下の真っ暗な回廊を巡って
仏様の分身とも言える錠前(じょうまえ)に
触れる行いの事です
仏様との縁を結び
功徳を得る事が出来ると
言われているんですよ。
時間にするとわずかなはずなんですけれど
真っ暗で何も見えないので
とても長く感じます
本堂の右手の建物には
といった生け花があり
華やかな雰囲気になっていましたよ。
さて、冒頭でも言いましたとおり
得浄明院は一初が
大変有名なんですね
一初の名前の由来は
アヤメ科の中で一番初めに咲くことから
そう呼ばれるようになったそうで
『逸初』『一八』とも書くみたいです
また、雄しべの花柱は
鳶(とび)が木に止まり
羽を休めている様子に見える事から
鳶尾草(トビオグサ)とも言われています。
さらには子安草(コヤスグサ)と
呼ばれる事もあるんだそうですよ
一初は、昔から大風を防ぐと信じられ
かやぶき屋根の上に植えられていたそうです。
屋根の上に一初が咲いているなんて
すごく綺麗で美しかったと思います
ちなみに同じアヤメ科の植物には
杜若(かきつばた)や菖蒲(しょうぶ)がありますよね。
また境内には一初やアヤメ以外にも
中庭
四季折々の花がありました。
そして境内を注意深く見てみると・・・
三種類の御紋を見つけることが出来るんですよ
こちらは菊の紋の瓦です。
皇室との深いつながりがあるからなんですね。
続いてこちらは立ち葵の紋です。
善光寺との縁から、この紋が使われています。
そして最後は、三つ葉葵の紋です。
知恩院宮尊超入道親王が徳川家斉の猶子である事から
徳川家ともゆかりのあるお寺というわけなんですね
というわけで今回は
現在特別公開中の得浄明院をご紹介しました。
詳しい場所はコチラ↓