今回ご紹介するのは
京都市上京区にある
観音寺(かんのんじ)です!
観音寺は、出水通の七不思議に数えられている
あるものがある事で有名なお寺なんですよ
その辺も踏まえた上で
さっそくレポートしていきましょう
こちらが山門です。
観音寺は、浄土宗のお寺で
1607年(慶長12年)に梅林というお坊さんが
創建したと言われています。
はじめは一条室町に創建したらしいのですけれど
詳しいことはわかっていないんですね。
というのも度重なる火災によって
お寺の由緒などが書かれた資料が燃えてしまって
わからなくなってしまったそうです
そして冒頭で紹介しました
出水通の七不思議に数えられるあるものとは
実は、この門の事なんです
見た感じは普通の門に見えますよね?
でもこの門には
恐ろしいネーミングがつけられているんですよ~!
門の裏側
実は、通称『百叩きの門』と呼ばれ
伏見城の牢獄の門を移築したものと言われています!
ちなみに門の扉は楠の一枚板で出来ているそうですよ。
百叩きの門って聞いただけで
何か怖そうな雰囲気がありますよね。
なんでも、罪人が釈放される際に
二度と牢獄に戻ってこないよう
門の前で百回叩いてから外に出していたそうで
その事から百叩きの門と呼ばれるようになったそうです
そしてこの門が伏見城から
移築されると、ある噂が広がります。
ある噂とは・・・
この門から人のすすり泣く声が聞こえてくる!
というものだったんですね
こんな噂が広がっていくものですから
誰も近寄らなくなってしまったそうです。
場所がお寺だけに
ありえる話なので、より一層怖いですよね・・・
そこで、お寺の住職が門を調べてみると
扉の片隅にあった潜り戸が
風で開いたり閉まったりして
その都度、人の泣き声のような音がしている事がわかったそうです
扉をしっかり閉めれば解決しそうなお話なんですけれど
当時の住職は
この門に罪人の霊が乗り移っていると思い
100日間絶食をして念仏を唱え、霊を鎮めたと言われています。
それ以降
人の泣き声は聞こえなくなったそうですよ
そして、その潜り戸は現在
空けられる事が無いよう
鍵がかかっているそうです。
ちなみに残りの
出水通の七不思議を簡単にご紹介しますと
・光清寺(こうせいじ)の浮かれ猫
・華光寺(げこうじ)の時雨松
・華光寺の五色椿
・地福寺(ちふくじ)の日限薬師(ひぎりやくし)
・五劫院(ごごういん)の寝釈迦(ねしゃか)
・極楽寺の二つ潜り戸
となっています
こちらは夜泣き地蔵です。
子供の夜泣き封じのご利益があると言われています。
そして観音堂です。
通称・千人堂とも呼ばれ
洛陽観音二十七番にも数えられています。
観音堂の本尊である聖観世音菩薩は
運慶(うんけい)の弟子
安阿弥(あんあみ)の作と伝わっているそうですよ
ちなみに、この観音堂はもともと
一条戻橋付近の寺にあったんですね。
918年に亡くなった三善清行(みよしきよゆき・学者)の葬送の際に 息子の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が聖観世音菩薩に祈って 蘇生させたという伝説は有名ですよね。
そのときに渡った橋の名が戻り橋と言われ
現在も一条戻り橋の伝説として語り継がれています
ちなみに浄蔵貴所は
祇園祭の山伏山(やまぶしやま)の御神体でもあります。
また、1390年に都で疫病が流行った際に
多くの死体がこの辺りに捨てられていたそうなんですけれど
山名重氏という人がこのお寺で鎮疫を祈念したところ
なんと、死体を蘇生させちゃった
という話が伝わっているんですよ~!
死体が蘇生しちゃうなんて
びっくりなお話ですよね。
と、いうように観音寺は
いろいろな伝承のあるお寺なんですね
そんな観音寺の場所はコチラ↓
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