今回ご紹介するのは
第48回『京の冬の旅』と題され
非公開文化財が特別公開されている
こちらは江戸期のものと伝わる楼門(ろうもん)『宝陀閣(ほうだかく)』です。2014年、栄西の800年大遠諱(だいおんき・法要)に合わせて修復されたそうです。
建仁寺(けんにんじ)の開山堂(かいざいどう)です
※ちなみに開山堂は通常非公開なんですよ。
建仁寺は
建仁2年(1202年)に創建された
京都最初の禅寺で
臨済宗の建仁寺派の大本山です。
お寺の名前である建仁は
当時の元号から付けられたそうです。
開山は栄西で
ご本尊には釈迦如来を安置しているんですよ
※栄西は一般的に『えいさい』と呼びますが、寺伝によると『ようさい』と呼ばれているんですね。
開山堂の前に立つ石碑。『扶桑佛心宗(ふそうぶっしんしゅう) 第一開山 千光祖師榮西禅師入定塔』と書かれています。
ちなみに栄西は宋で臨済宗を学び
日本に戻ってきてから
鎌倉幕府2代目将軍
源頼家(みなもとのよりいえ)より
この地の寄進を受けて
建仁寺を作ります
※源頼家について詳しくは、建仁寺の記事をご覧下さい。
開山堂へはこちらから入ります。
そして彼は臨済禅(りんざいぜん・臨済宗の禅)だけでなく
のちの日本にとって
すごいものをもたらすんですよ
それはなんとお茶の風習なんです!!
彼の著した『喫茶養生記(きっさようじょうき)』には
お茶の効能から栽培方法まで、詳細に書かれているんですね。
開山堂の近くには茶碑もあります。奥には少しですが茶畑もありましたよ。
彼は禅の祖というだけでなく
お茶の祖でもあったんですね
※栄西は持ち帰った茶の種を明恵(みょうえ)に渡したそうです。明恵について詳しくは、高山寺の記事をご覧下さい。
そして今回ご紹介する
建仁寺の中の開山堂という場所には
栄西の廊所(墓所)があるんですよ。
開山堂の楼門『宝陀閣』を斜めからパシャリ
もともとは護国院(ごこくいん)という
塔頭の1つだったのですけれど
明治に再建をして開山堂と改められたそうです
※お堂の中は残念ながら撮影が禁止という事でした。
開山堂の中にある開山塔は
『礼堂(らいどう)』と『相(あい)の間』
『祠堂(しどう)』からなり
相の間に栄西の坐棺(ざかん)が埋葬された石壇があります。
※坐棺とは、遺体を座った姿勢で納めるように作った棺の事です。
そして祠堂には栄西の木像が安置されており
さらに右手には源頼家像も安置されていました。
また、後土御門天皇(ごつちみかどてんのう・第103代天皇)より
贈られた額『華蔵世界(けぞうせかい)』もかけられていました
ちなみに開山塔の前に広がるお庭には
苔が生えていて
大きなボダイジュの木が左右にありました
なんでもこのボダイジュは栄西が
インドより持ち帰ったものだそうで
栄西自らお手植えになったそうですよ。
その時、栄西はボダイジュを見て
「このボダイジュが枯れなければ
日本に臨済は根ずくだろう!」
とおっしゃったそうです。
このボダイジュも
栄西が日本にもたらしたものの
1つなんですね~
なぜ、ボダイジュを持ち帰ったのか
と言いますと
それには理由がありまして・・・
釈迦は菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟りを開いたそうですけれど
その時の菩提樹は
『インドボダイジュ』と言われているそうです。
しかしインドボダイジュは日本の寒さには
耐えられないので、似た木であった
ボダイジュを持ち帰ったそうですよ。
今では栄西がおっしゃった通り
ボダイジュは枯れることなく
臨済宗は日本に根付いていますよね
そして今回の特別公開で客殿にある
加藤文麗(かとうぶんれい・狩野派の絵師)が手がけた
水墨画『龍虎図』も見ることが出来ました。
もちろん堂内なので撮影が禁止でしたが
いつもどおり看板でお許しを~
また原在中(はらざいちゅう)の
『松鶴波図(しょうかくはず)』『白梅郡禽図(はくばいぐんきんず)』
『水墨山水図』『孔雀図』も見れましたよ
※加藤文麗、原在中ともに江戸時代後期、京都で活躍した絵師です。
今回、ご紹介した開山堂の特別公開は
残念ながら2月28日で終了していますので
注意して下さいね。
度々、公開されることがありますので
ご興味のある方は建仁寺のHPを
チェックしてみてはいかがでしょうか
そんな開山堂のある建仁寺の場所はコチラ↓
大きな地図で見る