今回は、幕末ゆかりの石碑を1つご紹介したいと思います。

それは・・・

吉村寅太郎寓居跡

吉村寅太郎寓居跡(よしむらとらたろうぐうきょあと)です!


吉村寅太郎は、土佐出身の尊王攘夷派の志士で

この石碑は

彼が土佐から京に来た際に、住んだとされる場所に建っています。

※尊王攘夷派とは『天皇を中心に、外国人を排除した国作り』を思想とするもので、当時、幕府と対立をしていました。


ちなみに、この石碑は

三条木屋町北部に建っています。

木屋町通り近くは、幕末の石碑が多数建っていて

藩邸跡や、暗殺があったとされる場所が数多くあるんですよ。

※すぐ近くには、同じ土佐藩出身の武市瑞山(たけちずいざん)が長期滞在していた『四国屋』と呼ばれる旅館があったようです。詳しくは武市瑞山先生寓居之跡の記事をご覧下さい。


吉村寅太郎寓居跡に立つこま札

さて、幕末の志士であり

土佐四天王の1人とも言われる

吉村寅太郎とはどんな人物だったのか?

簡単にご説明したいと思います。

※ちなみに、土佐四天王は中岡慎太郎・坂本龍馬・武市瑞山・吉村寅太郎の4人と言われています。


庄屋(しょうや・村役人の長)の息子として

生まれた吉村寅太郎は

1961年(25歳の頃)武市瑞山の結成した

『土佐勤王党(とさきんのうとう)』に加わりました。

※土佐勤王党は土佐の下士(かし)・郷士(ごうし)といった下級武士を中心に結成された攘夷(じょうい・『夷敵=外国人』を打ち破る)集団です。


この頃から、武市瑞山を師として仰いでいたと言われています。

そんな彼の状況を大きく変えたのが・・

土佐脱藩です。


なんと!龍馬よりも早く、土佐を脱藩しているんですね。

これは土佐勤王党に参加した翌年の1862年

武市の命を受けて

長州藩士の久坂玄瑞(くさかげんずい)と会った際

さらに九州に渡に渡り、平野国臣(ひらのくにおみ・元福岡藩士)と

話した際に『ある計画』を聞きます。

※平野国臣については竹林寺の記事をご覧下さい。


攘夷派であった島津久光(しまづひさみつ・薩摩藩)の上洛に合わせ

『諸国の志士達が倒幕の軍を上げる』というものでした!


実際のところ、島津は倒幕に加担する意思など無かったのですが

当時は、攘夷派とは『開国をしてしまった幕府を倒す事』という

二者択一的な思想が強く

島津が京に上るという事=幕府を倒す事だ!

と思ってしまう志士が多かったようです。


これを聞き、吉村寅太郎は脱藩し

この計画に参加する事を決意します。

しかし、皆さんもご存知かもしれませんが

この計画を知った島津久光は、これを阻止します。

それが1862年に起こった寺田屋騒動です。

※寺田屋騒動につては、大黒寺の記事をご覧下さい。


吉村寅太郎は、この事件のあおりを受けて

土佐に強制的に帰らされ、牢に入る事となったんですね。


・・しかし、その八ヵ月後。

罪を許されると再び上京。

この時(1863年)に居を構えたと言われているのが、現在、吉村寅太郎寓居跡の石碑が建つこの場所のようです!


冒頭でも言ったように、このすぐ近くには

師と仰ぐ武市瑞山の住まいもあったようですね。

その後、彼の人生に再び転機が訪れます。


同年、孝明天皇の攘夷祈願の為

大和御幸(やまとごこう・ぎょうこう)が計画され

これに便乗し、吉村寅太郎

倒幕の兵を大和で挙げる事を画策するんですね~。

※大和国(やまとのくに)は現在の奈良県になります。孝明天皇が攘夷祈願の為、この大和に参拝する計画が上がりました。


この時、公家・中山忠光(なかやまただみつ・明治天皇の叔父)を連れて

京を出た吉村寅太郎らは

『天誅組(てんちゅうぐみ)』を結成します。

※天誅組は、中山忠光を筆頭に組まれた、倒幕を目的とする尊王攘夷派の集団。


彼はここで幹部クラスとなり、組を指揮したと言われています。

しかし、これが彼の命を縮める原因となりました・・。

ここでどのような活動をしていたのかと言うと

まずは幕府出先機関である五条代官所を襲撃し

倒幕の旗を揚げを行いました。


しかし、『八月十八日の政変』を受け

後ろ盾が無くなると

逆賊扱いを受ける事となり、天誅組は孤立化してしまうんですね。

※八月十八日の政変については、桂小五郎ゆかりの地巡りの記事をご覧下さい。


その後も進撃を続け、高取城(たかとりじょう)に攻め入りますが

結果的に敗走する事となり、天誅組は壊滅に・・。


吉村寅太郎は

吉野郡高見村鷲家口(よしのぐんたかみそんわしかぐち)にて

重症を追い、その場で自刃したとも伝わっています。

享年27歳、早すぎる死でした。


ちなみに、彼のお墓は

幕末の志士が集う、霊山護国神社にあるそうですよ。

という事で今回は、吉村寅太郎寓居跡をご紹介させていただきました。


場所はコチラ↓


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