幕末の史跡をご紹介したいと思います。
今回は、京都市伏見区にある・・・
薩摩藩邸址(伏見藩邸)です
※石碑には薩摩島津伏見屋敷跡(さつましまづふしみやしきあと)と記されています。
京都に薩摩藩邸は3つあったとされています
『伏見藩邸(伏見区)』
『錦小路藩邸(にしきこうじはんてい・中京区)』
『二本松藩邸(にほんまつはんてい・上京区)』
現在、これらの跡地には石碑が建っているんですね。
※二本松藩邸に関して、詳しくは薩摩藩邸址(二本松藩邸)の記事をご覧下さい。
さて、今回ご紹介する薩摩藩・伏見藩邸は
幕末の、あの有名な事件にも登場するんですよねっ!
それが・・・
寺田屋事件(1866年)です。
同じ伏見にある寺田屋にて、坂本龍馬が襲われた事件で
逃げ延びた龍馬を、この伏見藩邸にてかくまったと言われています。
この寺田屋事件は、寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を
伏見奉行所の人間が襲撃したというもので
後の妻である『お龍』や、長州藩の『三吉慎蔵(みよししんぞう)』の
協力によって、龍馬はなんとか暗殺の手から免れる事が出来ました
※寺田屋事件については、寺田屋騒動址 その2の記事をご覧下さい。
しかし、無傷で助かったというワケではなく
龍馬はこの時、右手の親指から人さし指の根元をざっくりと斬られ
深い傷を負ったと言われています。
龍馬は追っ手から逃れ、材木小屋に身を潜めていた所を
薩摩藩士・大山彦八(おおやまひこはち)に助けられ
伏見屋敷に連れられた後、怪我の手当てを受けたみたいですね。
この時、薩摩藩士・西郷隆盛は二本松藩邸でこの知らせを聞き
医者を伏見藩邸に差し向けたそうです
ちなみに、こんなピンチもありながら
この約一ヵ月半後には、西郷隆盛の勧めもあり
龍馬とお龍は鹿児島まで新婚旅行に行ったそうですよ~♪
さて、そんな伏見藩邸ですが
江戸時代は長らく『御仮屋(おかりや)』とも呼ばれ
参勤交代の際は、薩摩藩主(島津氏)の宿泊施設にもなっていたそうです。
※参勤交代について、詳しくは寛永堂の記事をご覧下さい
京都には3代将軍の家光以降、約230年もの間
徳川将軍が訪れる事が無かった為
その他の大名が洛中に宿泊する事を禁じていました。
伏見は、そんな平安京から少し南(つまり洛外)に位置する為
島津氏は、この伏見藩邸にて体を休めたというワケなのです。
※江戸に参勤交代する際、全ての西国の大名は洛中を通らず、この伏見を通って江戸に向かったそうですよ。
ちなみに宿泊したのは島津家の歴代当主ばかりではありませんっ
2008年の大河ドラマでおなじの
篤姫(あつひめ)が1853年、江戸藩邸に向かう際にここで宿泊したと言われています。
ちなみに、篤姫は
薩摩藩9代藩主『島津斉宣(なりのぶ)』の孫娘にあたる人物ですよ~
※この事から薩摩島津伏見屋敷跡と書かれた石碑の側面には『天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)洛中洛外滞在時の宿泊地』とも記されています。
その後、江戸藩邸に入った篤姫は、3年後に
徳川家定(いえさだ・第13代将軍)の正室となったんですね。
篤姫は、この伏見藩邸で4日間過ごしたとされ、その際に
宇治にある萬福寺や
紅葉の名所である東福寺などに足を運んだと言われています
ちょうど訪れたのが秋だった事が関係しているのかもしれませんね。
※東福寺の紅葉については、東福寺 その2、東福寺 その3の記事をご覧下さい。
以後、篤姫は一度も京都を訪れていないので
生涯一度きりの京都観光をしたと言われています
ちなみに、伏見藩邸は1868年の『鳥羽伏見の戦い』において
会津藩の襲撃を受け、焼失したそうで
現在は、酒処伏見らしく
酒造メーカーの建物が建っています
※鳥羽伏見の戦いについて詳しくは御香宮神社 その1の記事をご覧ください。
という事で今回は薩摩藩邸址(伏見藩邸)をご紹介させていただきました!
場所はコチラ↓