今回は、幕末ファンなら一度は訪れてみたい跡地の1つである
池田屋(いけだや)についてご紹介したいと思います
ちなみに、現在はすでに建物は存在せず
池田屋騒動之址(いけだやそうどうのあと)と書かれた
石碑が跡地に建てられています。
※場所は京都のメインストリート、河原町通りと三条通りの交差する付近です。詳しくは、記事の下部にあるマップをご確認下さい。
この石碑にも書かれている
『池田屋騒動(または池田屋事件)』は皆さんも
ご存知かと思いますが
一躍、新撰組の名を轟かせた事件として有名ですよねっ
1864年、祇園祭の宵々山の日
新撰組は、旅籠屋(はたごや・旅館)である『池田屋』に集まっていた
長州藩士らを襲撃し
彼らの計画していた犯罪を未然に防いだんですね
※その計画とは・・・長州藩を中心とする尊王派が風の強い日を選んで御所に火を放ち佐幕派大名らを殺害して、天皇を拉致し、長州に連れて行くといった一大クーデターでした。
池田屋事件の模様については、木屋町界隈の史跡 その2にて
じっくり書かせていただいていますので
そちらをご覧下さい!!
今回はこの『池田屋』と、その主人『入江惣兵衛(いりえそうべえ)』について
少しご説明したいと思います。
まず、池田屋の大きさ・間取りは?と言うと・・
建物は2階建てで、坪数は約100坪ほどでした。
1階には4部屋、2階には7部屋の客室があったそうですよ
ちなみに、新撰組がやって来た際
最初に出迎えたのは入江惣兵衛だったようで
びっくりしながらも、2階にいる長州藩士たちに
この緊急事態を知らせようとした事から
新撰組の近藤勇(こんどういさみ)らに
「何かあるな、怪しい!」と勘付かれてしまったんですね
この事件のあった日に
妻子と供に入江惣兵衛は怖さのあまり逃げますが、翌日出頭し捕らえられ
反幕府勢力をかくまっていたという理由から、監獄に入れられました。
※池田屋が長州藩の定宿として利用されていた理由の1つに、主人の入江惣兵衛が、出身が長州だったからではないか?とも言われているそうですよ。
池田屋は、7ヶ月の営業停止処分を命じられ
そのまま廃業に追い込まれたと言います。
※その後、池田屋の所有者が変わり、佐々木旅館という名で営業していたそうです。
その後、惣兵衛は厳しい拷問を受けますが
長州藩士の事については一切口を割らなかったみたいですよ。
そして約一ヵ月後・・・牢内で病死したと言われているんですね
もちろん、本当に病死なのかは定かではありませんが(汗)
享年42歳でした
遺体は身内の手により浄円寺に埋葬され
現在、お墓は浄円寺の他に
維新志士達が眠る『霊山護国神社』にも建てられているそうです。
ちなみに、近年になり『池田屋 はなの舞』という居酒屋が
この跡地には建ちました
池田屋とは直接的な関係は無いですが
店内には池田屋事件で描かれている『大階段』などが再現され
観光客に密かな人気となっているそうですよ
そんな池田屋騒動之址の場所はこちら↓
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