今回ご紹介する神社は・・・
深泥池貴舩神社(みどろがいけきふねじんじゃ)です
こちらの神社は、貴船山にある貴船神社(総本社)より
江戸時代初期に分社し、建てられたと言われています。
ちなみに深泥池とは京都市北区(上賀茂)にある池の名称です。
※貴船神社の分社には『船』ではなく『舩』の字が使われています。
こちらから境内に入ります。
まず最初に貴船神社(総本社)についてご説明しますと
平安時代より『水の神様』として崇められている神社です。
貴船神社の社殿が建つ貴船山や
その隣にある鞍馬山から流れる水は
京の都を流れる賀茂川の元となっている事から
貴船神社は古来より、水の神様として崇められてきました
入ってすぐの所にあった『ちから石』です。
神社の由来が書かれた石碑です。
この事から、農民はもちろんの事、朝廷にいたるまで
様々な人々より篤い崇敬を受け
多くの人が貴船山まで足を運び参拝していたんですね
ただ、都から遠いという事もあり
江戸時代初期に、農民達の手によって
上賀茂の鞍馬街道(くらまかいどう)沿いに社殿を建て分社を行ったそうです。
※鞍馬街道は、京の七口(都の出入り口)の1つである鞍馬口から伸びる約12キロの街道です。北部に抜ける道で、鞍馬山や花背に繋がります。
分社されたのが10月23日である事から
毎年、この日に深泥池貴舩神社では例祭が執り行われるそうですよ。
さて、この水の神というのは??
具体的に言うと・・
『高おかみ神(たかおかみのかみ)』を指しています!
※『おかみ』は雨の下に口を横並びに3つ、その下に龍と書きます。
参道のなだらかな石段を登り、右手に折れたその先に拝殿、そして奥に本殿が見えます。
日本神話によると
国生みの神で知られる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が
火の神としてしられる迦遇槌命(かぐつちのみこと)を斬った際に
生まれた神様なんですねっ。
もちろん深泥池貴舩神社にも、この神様が祀られているんですよ
※迦遇槌命は、伊弉諾尊の奥さんである伊邪那美命(いざなみのみこと)が生んだ火の神様で、彼女は迦遇槌命の火によって大火傷を負い、死んでしまいます。
ちなみに、古事記では『闇おかみ神(くらおかみのかみ)』
日本書紀では『高おかみ神(たかおかみのかみ)』という名で記されています。
こちらは、正月の際に作ったお飾りの一部だそうで、その中から子供達の作ったものを1年を通して展示しているそうです。
深泥池貴舩神社ではこの他にも
同じく水の神様と言われる
弥都波能売神(みずはのめのかみ・川上神)も祀られています。
※弥都波能売神は、伊邪那美命が迦遇槌命を生んだ後、彼女の尿から生まれた神様だそうですよ。
こちらは役行者(えんのぎょうじゃ・修験道の開祖)の石碑です。役行者については、祇園祭 役行者山(八坂神社)の記事をご覧下さい。
末社である『弁天社』です。祀られているのは弁財天です。彼女は七福神の1人で、琵琶を持った女神として知られています。
この他、深泥池貴舩神社は
『すぐき漬け発祥の地』とも言われています
酸味が特徴的な京都の伝統的な漬物の1つで
かぶ(かぶら)の変種とされる酸茎菜(すぐきな)を原材料としています。
これが出来るきっかけとなったのが・・・
境内にある『秋葉神社(あきばじんじゃ)』が深く関係しているんですね
この秋葉神社は
平安時代より、この地に祀られているそうです。
村の鎮守社とされていましたが
明治期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく・仏具や仏教施設などの破壊)によって
秋葉神社の社殿も、一部破損してしまいました
これを修復せず放置していると
なんと・・・
村が大火事になってしまったんですね。
※この事から分かるように、かつては神仏習合の社であったと思われます。廃仏毀釈について、詳しくは泉涌寺 その1の記事をご覧下さい。
『すぐき』に関する伝承が書かれた石碑。
秋葉神社は火の神様を祀っていたそうで
社殿を修復しなかった為、罰が当たったと言われています。
しかーし!!
その火事によって生まれたのが
・・・すぐき漬けだったのです。
村は焼けてしまい、村の人達は食べ物にも困る有様でしたが
焼け跡から漬物桶を見つけたそうです。
桶に入った漬物は火が通った状態だったそうで
これを食べた村長が一言
「これは、酸(す)い茎やなぁ・・・」と言ったそうで
村の人達には思い出深い味になったようです
ここから、すいくき→すぐきという風に訛り
この味を再現した『すぐき漬け』が完成したと言われています
※味を再現しているものであり、すぐき漬けは火を通した漬物ではありません。
こうした故事から
1992年に秋葉神社の社殿が再建された際は
『すぐきの神様』として崇められるようになったそうですよ。
そんな深泥池貴舩神社の場所はコチラ↓