今回ご紹介する神社は、京都市下京区にある・・・
住吉神社(すみよしじんじゃ)です
※京都市下京区には2つの住吉神社があり、今回は薮之内町にある住吉神社をご紹介させていただきます。
京都の古社の1つとされ
延暦年間(えんりゃくねんかん・782~806年)に
摂津住吉宮から勧請し、建てられたと言われている神社です
ちなみに、この摂津住吉宮というのは
現在の住吉大社(大阪府住吉区)の事なんですね!
※この住吉大社は全国に2300以上もある住吉神社の総本社とされ、初詣には250万人が参拝する有名な神社です。
鳥居億に拝殿、そして本殿があります。
では、次にここに祀られている神様とは
どんな神様なのかと言いますと・・・
・底筒男命(そこつつをのみこと)
・中筒男命(なかつつをのみこと)
・表筒男命(うわつつをのみこと)
といった神様で
この三神を『住吉三神』と言います
いずれも、国産みの神で知られる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が
穢れを祓った際に生まれた神様なのです!
こちらが拝殿になります。<
これらの神様が生まれたエピソードをお話しますと
伊弉諾尊には、伊邪那美命(いざなみのみこと)という奥さんが
いたのですが
彼女が迦遇槌命(かぐつちのみこと・火の神様)を生んだ際に
大火傷をして、死んでしまったんですね。
伊弉諾尊は、その後『黄泉国(よみのくに・死後の世界)』に行き
伊邪那美命を連れ戻そうとしますが
黄泉国で変わり果てた彼女の姿に驚き、逃げ出してしまいます。
黄泉醜女(よもつしこめ)と呼ばれる
黄泉の国に住む鬼女(きじょ・鬼と化した女の妖怪)らに追いかけながらも
なんとか逃れると
伊弉諾尊は阿波岐原(あわきがはら)で穢れた身体を洗い清める
『禊(みそぎ)』を行なったんですね。
ちょうど、この時に生まれたのが・・・
住吉三神というワケです
この事から、住吉三神には
穢れを祓うご利益があるとされているんですよ。
境内にはこの他に末社がいくつかあります。ズラリと並んでいるのは『神明神社(しんめいじんじゃ)』『天満宮社』『貫之神社』『道祖神社(どうそじんじゃ)』です。
そして、この住吉三神とゆかりの深い人物というのが・・
神功皇后(じんぐうこうごう)です。
彼女は仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后で
妊娠中にもかかわらず、海を渡り
新羅の国(現在の朝鮮)へと出兵し
その後、三韓征伐(さんかんせいばつ)を成し遂げ
無事に元気な子供(応神天皇・おうじんてんのう)を産んだとされる女性です
※神功皇后に関して詳しくは月読神社(松尾)の記事をご覧下さい。
そんな神功皇后の三韓征伐に力を貸したのが
住吉三神と言われていて
一説では、住吉三神の起こした突風によって
神功皇后の乗った船はすさまじい勢いで新羅に到着し
その風の起こした波で、新羅の国の半分を浸水させ
武力を使わず降伏させたなんて言われているんですよ~
こうした事から住吉三神には
穢れを祓うご利益だけでなく、海上安全・交通安全などの
ご利益もあるそうです
以上の経緯があり、神功皇后の手によって建てられたのが
大阪の『住吉大社』だったんですね
※後に神功皇后も祭神として、住吉三神と一緒に祀られました。
こちらは『金毘羅宮(こんぴらぐう)』です。商売繁盛のご利益があります。<
そんな住吉大社より勧請し建てられた
こちらの住吉神社は、その後荒廃しますが
平安時代の歌人で小倉百人一首にも歌が収録されている
藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)という歌人によって再建されます
その後も何度か再建を繰り返し
現在の社殿は
江戸時代後期に建てられたものだと言われているんですよ~。
ちなみに、毎年9月末には『住吉祭』が行なわれています。
剣鉾や神輿などの賑やかな行列が氏子町を回る他
前日の宵宮では、境内にて『六斎念仏』が奉納されます
鉦や太鼓を鳴らし念仏を唱えていた事に由来する
日本の伝統芸能で、重要無形民俗文化財にも指定されています。
住吉祭で六斎念仏を行うのは『中堂寺六斎念仏』の方々で
以前、清水寺にて中堂寺六斎念仏の方々が六斎念仏を
行なっていた模様をレポートしているので
気になった方は盂蘭盆会 2012(清水寺)の記事をご覧下さい。
そんな住吉三神を祀る『住吉神社』の場所はコチラ↓