今回ご紹介するのは、京都府南部の
宇治市にある神社・・・
旦椋神社(あさくらじんじゃ)です
漢字は2つあり『且椋神社』とも書くようです。
この旦椋神社の創建は古く
大和朝廷の頃に建てられた社を
起源とする神社です。
かつては、栗隈県(くりまあがた・現在の城陽市)と呼ばれる地にあったとされ
1550年に社殿が焼失した事をきっかけに
現在地(宇治市)にあった『天満天神』と
合祀されたそうです
※城陽市は宇治市の南隣に位置する市です。
境内は広く、北と南に分かれていて
ちょうどその間を道路が走っています。
真っ直ぐ進むと、見えてくるのは
割拝殿(わりはいでん)です。
通常の拝殿と違い、2つに分かれ
その間を人が通れるようになっているんですね。
かつて、旦椋神社があったとされる栗隈県は、大和政権における農地『屯倉(みやけ)』とされ、穀物が作られていたそうです
ちなみに、旦椋神社の名前にもなっている『あさくら』とは
屯倉に建てられた、米を蓄える為の『校倉(あぜくら・倉庫)』が
訛ったものだと考えられているんですね。
つまり、校倉に神様を祀っていた事が
旦椋神社の起源だと考えられています。
校倉は建築様式の1つであり
現在でいう丸太小屋に似た造りの倉庫です。
高床式となっている事もあり
非常に風通しが良く、湿気の籠もらない造りをしているんですね~。
こうした事から
お米の貯蔵庫としても重宝されていたんですよ。
その後、室町時代後期の1550年に社殿が焼失し
栗隈県より北側に位置する現在地に
すでにあった天満天神社と合祀する形で
社殿が再建される事となりました
※再建したのは、吉田神社の神職であった吉田兼右(よしだかねみぎ)という人物だと言われています。
こちらが本殿になります。
写真では見えにくいですが、欄干分などには
極彩色豊かな彫刻が施され、とても鮮やかな社殿となっています。
壁の部分には、狛犬なども描かれていましたよ。
ちなみに、祭神は以下の二柱とされています
・高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)
「産」という字が使われている事からも分かる通り
植物の生成力や生育を神格化した神様で
一説では、皇祖神(天皇家の祖先神)にも挙げられています
・神皇産霊尊(かみむすびのみこと)
高皇産霊尊と同様に
高天原(天上界)に最初に生まれた神々とされています。
国産みの神で知られる
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)などよりも以前に
存在していた神様というワケです
こちらは境内にある狛犬です。
明治の頃のものだそうですよ~。
狛犬は二対一体とされ
口はそれぞれ阿吽(あ・うん)の形をしています
『阿』は口を開き、最初に発する音であり
『吽』は口を閉じ、最後に発する音と言われ
誕生と終わりを意味しているとも
言われているんですね。
この他にも、口の形が
『息を吐く』『息を吸う』姿である事から
ぴたりと息が合う姿や、コンビネーションが良い事を
『阿吽の呼吸』なんて言ったりしますよねっ
こちらは本殿の隣にある『天満天神社』です
祀られているのは学問の神様で有名な
菅原道真(すがわらのみちざね)です。
ちなみに、菅原道真を祀る天満宮は
彼の祟りを静める為のものなんですよね。
※彼について詳しくは京の天満宮巡りの記事をご覧下さい。
という事で、今回は京都府宇治市にある
旦椋神社を紹介させていただきました
場所はコチラ↓