今回ご紹介するのは、京都府宇治市にある・・・
許波多神社(こはたじんじゃ)です
ちなみに、宇治市には許波多神社が2つあります。
昔は1つの神社だったようですが
平安時代後期に分社されたようです
※もう一方の許波多神社は、京阪『木幡駅』の北東に位置しています。
今回ご紹介する許波多神社は
宇治川に架かる隠元橋(いんげんばし)の東に位置する神社で
五ヶ庄(ごかしょう)と呼ばれるエリアに建っています
※ちなみに隠元とは、インゲン豆の名前の由来にもなった明の僧『隠元』の事です。近くには、彼の建てたお寺『萬福寺』もありますよ。彼について詳しくは萬福寺の記事をご覧下さい。
許波多神社の起源について簡単にお話しますと
645年、皇祖(こうそ・天皇の始祖)を祀る為に
創建されました。
ちなみに、どんな神様が祀られているのかと言いますと・・・
・天忍穂耳尊(あめのおしほみみ)
古事記では、素盞嗚命(すさのおのみこと)と姉の天照大神(あまてらすおおかみ)が
互いの子を生み出し誓約(うけい・占い)を行なうシーンが描かれています。
その際に、素盞嗚命が
天照大神の身に付けている玉を噛み砕いた際に
生まれたとされるのが天忍穂耳尊です。
この事から天忍穂耳尊は、天照大神の子とされています。
※荒々しい神として描かれている素盞嗚命は、父親の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)から天上界(高天原)を追い出される際に、姉の天照大神に一度、会いに行くんですね。しかし、姉の天照大神は、弟を恐れ、武装して彼を出迎えたのでした。その際に、素盞嗚命は自分の心に邪心が無い事を証明する為に『誓約(占い)』を行なったのです。この占いは、『そうならばこう、そうでないならば、こう』という風に、あらかじめ宣言を行ってから子供を生み、その性別の結果によって占い、潔白を証明するものでした。
・瓊々杵尊(ににぎのみこと)
初代天皇である神武天皇の曾祖父(そうそふ)であり 天忍穂耳尊の子供にあたります。
・神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
これは初代天皇である神武天皇の即位前の名前だそうです。
この事からも分かる通り
天照大神から生まれた『天忍穂耳尊』そして、その子『瓊々杵尊』
更にその孫にあたる『神武天皇』という直系の神々が祀られているんですね
ちなみに、天忍穂耳尊を祭神にしているのは
許波多神社だけなんだそうですよっ
※分社された木幡駅近くの許波多神社も同様に天忍穂耳尊を祀っています。
現在の神社は、明治になって移動されました。こちらはかつての境内にあった橋桁の一部です。手水鉢に作り変えられていました。
さて、創建されて間もなく
この皇祖を祀る許波多神社に
戦勝祈願を行なったと言われているのが・・・
大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)です
彼は『壬申の乱(じんしんのらん)』の際に許波多神社に立ち寄り
祈願を行なったと言われています。
壬申の乱は672年に起こった戦いで
皇位継承を巡り
大海人皇子・・天智天皇の弟
VS
大友皇子(おおとものみこ)・・天智天皇の息子
が争いました。
本来であれば大友皇子が即位するはずでしたが
その前に、天智天皇が崩御してしまった事から
大海人皇子はチャンスと思い
挙兵し、皇位継承を狙ったのです
この戦は大規模なもので
当時、日本国民の1割(6万人)が両軍に分かれて
戦ったと言われています
※壬申の乱について詳しくは松明殿稲荷神社の記事をご覧下さい。
こちらの割拝殿を通って、奥に進んでいきます。
神社の名前が書かれた提灯です。
ちなみに結果は・・・
大海人皇子の大勝利!という事で
以後、戦勝祈願の神社として有名になったそうですよ~。
この参拝の際に、大海人皇子は馬の鞭として使っていた
『柳の枝』を社殿に奉納したそうですが
その柳が見事に芽吹き、辺り一帯に生い茂ったと言います
この事から、この地に『柳山(やなぎやま)』という名が付けられました。
その後、柳山に祀られる神という事から
江戸時代までは『柳神社』や『柳大明神』と呼ばれていたそうです。
※当時は36000坪もの広大な敷地があったそうですよ
拝殿、そして奥に見えるのが本殿です。
しかし、明治になると
陸軍の火薬製造所(現在の陸上自衛隊宇治駐屯地)が
この地に建設される事となり
お旅所になっていた現在地(五ヶ庄)に
神社が移される事となったんですね。
さて、そんな許波多神社は
競馬発祥の神社としても知られているそうです
これはかつて、近くで
競馬(くらべうま)の神事が行なわれていた事に由来するそうです。
※競馬は馬の速さを競うものです。競馬といえば上賀茂神社で行なわれている賀茂競馬の神事が有名です。詳しくは賀茂競馬 2011(上賀茂神社)の記事をご覧下さい。
そして競馬ファンの間では有名な
『勝馬御守』というのがあるそうですよっ。
ちなみに、『勝馬御守』の購入を予定されている方の為に
一言いいますと
その日にお守りを持って帰る事は出来ないそうですっ。
これは、お守りを希望する人からの申し出があってから
祈祷を行なうそうで、後日郵送となるようです。
絵馬にも馬の絵が描かれていました。馬と一緒に描かれているのは鐙(あぶみ・足をかける馬具)です。許波多神社には、平安時代の鐙が宝物として保存されているそうです。
という事で今回は五ヶ庄にある許波多神社を
紹介させていただきました!
場所はコチラ↓