こんにちは京子です!
今回ご紹介する神社は・・・
文子天満宮(あやこてんまんぐう)です
天神信仰の代表と言われる北野天満宮が
創建されるきっかけとなった神社である事から
『天神信仰発祥の神社』とされています
菅原道真(すがわらのみちざね)の乳母であった
多治比文子(たじひのあやこ)が
不遇の死を遂げた彼のお告げを受け
庭に小さな祠を建て、彼を祀りました。
※これが文子天満宮の起源とされ、道真を崇める『天神信仰』発祥の神社だと言われる理由です。
そして、道真のお告げを受けた事が
きっかけの1つとなり
後に、北野天満宮が創建される事となりました
経緯について、もう少し詳しくご説明しますと・・・
平安時代後期、平安京には落雷などの異変が相次いでいました。
これは無実の罪で大宰府へ左遷され
不遇の死を遂げた菅原道真の祟りではないか?
と考えられていたのです。
ですので、朝廷は彼の死後、左遷を撤回します。
その上、右大臣に戻し
正二位(しょうにい)の官位を授けたのです。
そんな状況の中
文子は、道真からのお告げを受けるんですね。
「九州から都へ帰りたい。なので、右近の馬場(現在の北野天満宮の場所)に祠を構えて、私を祀りなさい。」
という内容でした。
しかし家が貧しかった為
彼女は、自宅の庭に小さな祠を設け、そこに祀ったのです
※冒頭でもご説明した通り、この祠が文子天満宮の起源とされています。
菅原道真と言えば牛です。道真と牛の関係については菅原院天満宮神社の記事をご覧下さい。
鳥居をくぐると右手には『白瀧稲荷社(しらたきいなりしゃ)』があります。
その5年後
近江国、比良宮の神職『神良種(みわのよしたね)』の子供にも
同様の神託があった事で
947年、朝廷により
右近の馬場に、道真を祀る『北野天満宮』を造営したんですね
※以後、全国に1万2000社も天満宮が創建される事となります
以前から天神信仰(天神・雷神様を崇める信仰)はありましたが
御所の清涼殿(せいりょうでん)に落ちた雷が
道真の祟りによって起きたと考えられていた事から
天神・雷神様と道真が結びつき
道真に対する信仰も『天神信仰』と言われるようになりました
左が老松社(おいまつしゃ)と福部社(ふくべしゃ)、右が白太夫社(しらたゆうしゃ)です。これらに祀られている祭神も、全て道真にゆかりの人物なんですよ。
多治比文子の像です。
ちなみに1873年には
北野天満宮の境内にも、文子天満宮の社殿が創建されました。
※北野天満宮内の文子天満宮については、文子天満宮祭 神幸祭 2012(文子天満宮)の記事をご覧下さい。
こちらは、道真が大宰府に左遷される際に
多治比文子の元へと訪ね、腰を掛けたと伝わる
『腰掛石』です。
京を離れてしまうので、彼女に
最後の挨拶をしようと
ここへやって来たんでしょうね
拝殿です。もちろん祭神は菅原道真です。
彼は大変、頭が良かった事から
『学問の神様』として知られていますよね
裏側には『成就社(じょうじゅしゃ)』があります。願いが成就すると、こちらに参拝するそうです。
文子殿です。神前での結婚式をこちらで挙げる事も可能ですよ。
絵馬には道真が描かれています。彼は生前、梅を愛した事でも知られています。詳しくは菅大臣神社 その1の記事をご覧下さい。
牛のおみくじもありました。この他にも、梅のおみくじもあるそうですね~。
という事で今回は
天神信仰発祥の神社である『文子天満宮』をご紹介しました。
場所はコチラ↓