こんにちは京子です!
今回も京都検定の過去問をお届けします。
写真と解説付きで出題していますので
是非、問題にチャレンジしてみて下さいね
では早速、第1問!
【問題】
京都守護職であった松平容保(まつだいらかたもり)率いる会津藩は、( )を本陣とした。
ア.真如堂
イ.壬生寺
ウ.金戒光明寺
エ.本法寺
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シンキングタイム★
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)
京都守護職であった会津藩は
京都の治安維持に務め、幕末には維新志士と戦いました。
ちなみに新撰組も
会津藩のお預かりの浪士集団だったんですよ
1862年、時の将軍であった徳川家茂から
京都守護職に命じられた松平容保は
家臣1000人を引き連れ、金戒光明寺に入ったと伝わっています。
では2問目です!
【問題】
元治元年(1864年)、新撰組が尊皇攘夷派の長州藩士らが会合する三条木屋町西入の旅籠( )を襲撃した。この事件をきっかけに、禁門の変(蛤御門の変)が勃発した。
ア.成田屋
イ.播磨屋
ウ.池田屋
エ.近江屋
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.池田屋
京都の治安を守っていた新撰組は
現代で言うなれば『警察』のような組織でした
そんな新撰組のもとに
「長州藩を中心とする攘夷派が、風の強い日を選んで御所に火を放ち、佐幕派大名らを殺害して天皇を拉致し長州に連れて行く計画がある。」
という情報を入手したんですね。
いわゆるテロ行為の計画です。
これを阻止する為に
新撰組は、彼らが集まる『池田屋』に乗り込み
殺害・捕縛し、テロを未然に防ぐ事に成功したのです。
以後、新撰組は京都救ったヒーローとして民衆に認知される事となります。
※詳しくは『木屋町界隈の史跡 その2』の記事をご覧下さい。
では3問目にいってみましょう。
【問題】
十輪寺には、隠遁(いんとん)した( )が塩を焼いて心を慰めたとされる塩窯跡が今も残る。
ア.源頼光(みなもとのよりみつ)
イ.源融(みなもとのとおる)
ウ.在原業平(ありわらのなりひら)
エ.小野篁(おののたかむら)
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では、答えですっ。
【答え】
ウ.在原業平
鳳輦形の屋根が特徴的な十輪寺に
現在も残っているのが
こちらの塩窯跡です。
平安時代の貴族であり歌人の在原業平は
美男と伝わるその風貌から
当時は大変モテた人物だったみたいですね
そんな彼と関係があったとされる
二条后(にじょうのきさき・藤原高子)は
清和天皇の女御(のち皇太后)だった女性で
ここで海水から塩を焼き上げ
高子への切ない想いを『煙』に託したと言われています
では最後の問題です!
1級からの出題になりますので選択肢ではありません
ズバリでお答え下さい。
【問題】
朱雀大路の南端に位置した平安京の正門を( )という。
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では、答えですっ。
【答え】
羅城門(らじょうもん)
現在、当時の門は残っておらず
跡地として石碑が建っています。
『羅城』とは都の四方を巡らす城壁の事だそうで
その開かれた門ということで
『羅城門』と呼んだと言われています
※詳しくは羅城門跡地をご覧下さい。
という事で本日も4問出題させていただきました!
みなさんは何問正解されましたか?