こんにちは京子です!
今回ご紹介するのは
現在『サツキ(皐月)』が見ごろの・・・
詩仙堂(しせんどう)です。
場所は一乗寺(いちじょうじ)と呼ばれる
京都市北部にあるお寺です
この辺りは
剣豪『宮本武蔵』が一乗寺下り松(いちじょうさがりまつ)において
吉岡一門と激戦を繰り広げた場所として
映画や小説などでも描かれています。
※宮本武蔵や一乗寺下り松に関しては八大神社の記事をご覧下さい。
詩仙堂は
チャールズ皇太子と故ダイアナ妃も訪れた事がある事から
外国人の方にも人気のあるお寺であり
現在、綺麗なサツキが咲いています。
サツキは
旧暦の5月に一斉に咲く事から名前が付いたと
言われる花で
正式名称は『サツキツツジ』と言います。
ツツジと似ていますけれど
花や葉は少し小さめで開花も若干遅いそうです。
江戸時代から
武家に愛されていた花だとも言われています♪
一番上の3階部分の部屋は『嘯月楼(しょうげつろう)』と言います。
そんなサツキが綺麗に見えるスポットが
『詩仙の間』の隣から眺める景色です。
この季節は観光客の方でいっぱいになります
ちなみに詩仙堂は正式名称を『凹凸窠(おうとつか)』と言います。
凹凸窠とは
『山間に位置する凹凸のある地に建てた住居』
という意味があるそうで、その名の通り
大変静かな山間に建っているお寺です
そんな詩仙堂を建てたのが
石川丈山(いしかわじょうざん)という人物です。
彼は三河出身の武士で
家康の家臣として仕えていました。
しかし関ヶ原の戦いで
軍律を破り、先陣争いをして、敵方へ乗り込み
豊臣方の家臣の首を討ち取った事が家康の怒りを買いました。
その結果、蟄居(ちっきょ・今で言う自宅謹慎ですね)を命じられ
この事がきっかけで石川丈山は武士を辞めます。
サツキが綺麗な庭園に下りる事も出来ます
その後は京都で朱子学を学んだり
母親の看病の為に広島藩の浅野家に仕えた時期もありましたけど
母の死をきっかけに京都へと再び戻り
1641年、この詩仙堂を造営し隠居したんですね。
※彼は詩仙堂の他にも『渉成園(しょうせいえん)通称・枳殻邸』の作庭も手がけたと言われています。
『詩仙の間』や『嘯月楼』がある建物を
取り囲むようにサツキが咲いています。
手入れが行き届いた綺麗なお庭で
ゆっくりと景色を楽しみながら
歩く事をオススメします。
この他にも『残月軒(ざんげつけん)』と呼ばれる茶室もあります
建物の前にはサツキ以外にも
ハナショウブ(花菖蒲)やカキツバタ(杜若)などの
季節の花を見る事も出来ますよ
そして、お庭にはこんな石碑も発見。
『さにづらふ紅葉の雨の詩仙堂』
これは大正から昭和にかけての俳人『鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)』という方の作品です。
上記の句を見て分かるように
詩仙堂は紅葉の名所としても知られているんですよ~
※さにづらふとは「赤い頬をしている」という意味があります。
そんな詩仙堂の場所はコチラ↓