こんにちは京子です。

今回ご紹介するのは

5月27日に嵐山一帯で行われた

嵯峨祭 還幸祭

嵯峨祭 還幸祭(さがまつり かんこうさい)です。

嵯峨祭は愛宕神社(あたごじんじゃ)と野宮神社(ののみやじんじゃ)

両神社が主催している祭なんです


嵯峨祭の由来について詳しい事は文献が残っていないみたいですけれど

1500年頃、応仁の乱などで京都が乱れた時に

後奈良天皇(ごならてんのう)から

皇室にゆかりのあった大覚寺に宛てて

「愛宕神社、野宮神社のお祭りを修造しなさい

というお達しがあり現在の嵯峨祭へと続いているそうです。


また江戸時代前期に書かれた『嵯峨祭絵巻』には

剣鉾が描かれていて

すでにこの頃には剣鉾の鉾差しが行なわれていました。

元禄4年(1691年)には松尾芭蕉も見学したそうで

現在では

龍鉾

龍鉾(りゅうぼこ)


麒麟鉾

麒麟鉾(きりんぼこ)


澤潟鉾

澤潟鉾(おもだかぼこ)


菊鉾

菊鉾(きくぼこ)


牡丹鉾

牡丹鉾(ぼたんぼこ)

上記、5基の剣鉾が神輿の先導を務めていて

京都市指定の登録文化財、無形民俗文化財に指定されています。


それではさっそくレポートして行きたいと思います

愛宕野々宮両御旅所

午前9時に愛宕野々宮両御旅所(あたごののみやりょうおたびしょ)に着いた京子

御旅所の場所は清凉寺の正門から歩いて1分程の場所にあります。

丁度、剣鉾が集まっている所でした

しばらくすると御旅所の境内で神事が始まります。

神事の様子

関係者のお祓いが終わると

剣鉾もお祓いを受けていましたよ。


神事が終わると

神輿のカシャンカシャンと音の出る部分の

『鳴りカン』を上下に振りながら担ぎ手達が集まってきました

愛宕神社と野宮神社がそれぞれ1基ずつの神輿を出していますので

境内には担ぎ手達で一気にあふれかえります。

到着した鳴りカンを神輿に取り付けて準備は万端です



10時にはいよいよ剣鉾が御旅所を出発します。

この出発の時にそれぞれの剣鉾は

清凉寺前で鉾差しを行っていましたよ


剣鉾が先頭を行く理由は

魔物を追い払い道を清める役割があるそうです

行列は続くようにして獅子舞、愛宕神社の神輿、野宮神社の神輿の順で

出発していきました。

その後、今度は子供神輿のかわいい担ぎ手達が集合し

ほどなくして男女に分かれて2基の神輿が出発します。

この子供神輿は大人達とは別のルートをまわるんですよ


この後、12時頃に剣鉾や大人神輿は大覚寺へと到着します。

愛宕神社の神輿

愛宕神社の神輿


野宮神社の神輿

野宮神社の神輿


なぜ神社のお祭りなのにお寺に行くのかと言いますと

昔はあの辺り一体が大覚寺の境内だったので

挨拶回りで立ち寄られるそうです


先に剣鉾が大覚寺に到着すると

大覚寺の勅使門

普段は入れない勅使門から入場し

鉾差しを行っていましたよ



神輿と担ぎ手は勅使門前に集まり

行列に加わっている神職が祝詞を

大覚寺では僧侶が読経を行います。


大覚寺への挨拶が終わると

氏子区内を回り渡月橋方面へ向かいます

その後もいろんな所で鉾差しなどを行い

15時頃に大堰川の北側にあるホテル嵐亭前へ到着しました。


稚児行列

ここから行列は増え

稚児行列と子供神輿が参加します。

しばらく大堰川沿いを歩いて渡月橋まで出てくると

スタート地点の御旅所までの約1キロ程が歩行者専用になり

剣鉾や神輿、獅子舞がパフォーマンスして

見ている人達を楽しませていました



そして16時頃に御旅所へと戻り

御霊が降ろされ今年の還幸祭は終了です。


そんな還幸祭が行われた愛宕野々宮神社御旅所の場所はコチラ↓


大きな地図で見る

大覚寺の場所はコチラ↓


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