こんにちは京子です!
本日、ご紹介するのは
![護王大祭の駒猪](2012/04/04/01/2012-04-04-9.jpg)
和気清麻呂(わけのきよまろ)を祀る
護王神社で行われた・・・
![護王大祭](2012/04/04/01/2012-04-04-3.jpg)
『護王大祭(ごおうたいさい)』です。
ちなみに、この神事は
宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐうしんたくじけん)の
故事に基づくもので
和気清麻呂の命日に合わせて行われています
※延暦18年2月21日を現在の暦に置き換え、4月4日が命日とされています。
![神幸祭](2012/04/04/01/2012-04-04-5.jpg)
これに先立ち、護王大祭の前の日曜日には
『神幸祭』が行われました。
![本殿前にて](2012/04/04/01/2012-04-04-6.jpg)
神輿はもちろんの事
神幸列には
![人力車や風流幣](2012/04/04/01/2012-04-04-8.jpg)
人力車や風流幣(後ろに写ってる桃色の花びらの傘)など
が加わり、華やかな行列なんです
建礼門まで神輿を担ぎ神事を行った後
近辺の氏子町を巡行します。
ちなみに
護王大祭は毎年行っていますけれど
こちらの神幸祭は2年に一度行われているもので
次回は2014年になります
まずは宇佐八幡宮神託事件について
簡単にご説明させていただきます
称徳天皇(しょうとくてんのう)という女帝時代。
彼女のお気に入りだった
僧侶の弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を
次の天皇にしようとしていました。
そこで彼女は家臣たちに
「宇佐八幡宮で神のお告げがあり、弓削道鏡を次の天皇にしろと言っておる!聞いてまいれっ。」
と伝え
和気清麻呂の姉である
和気広虫(わけのひろむし)を向かわせようとしたんですね
![和気清麻呂の銅像](2012/04/04/01/2012-04-04-4.jpg)
境内にある和気清麻呂の銅像です。
これはつまり天皇の座が
天皇家以外の人間に奪われようとしている
瞬間だと言えます
指示を受けた和気広虫でしたか、彼女は女性であり
宇佐八幡宮(大分県)まで距離がある事から
弟の和気清麻呂にその大役を任せます。
そして、無事にお告げを聞いて帰ってきた和気清麻呂は
称徳天皇に報告をします。
清麻呂「古来より、天皇というのは天皇家からしか出ていません。それは今後もそうです!!」
和気清麻呂は天皇家の血筋以外から
天皇を出す事を拒み、跳ね除けたのです。
つまり、和気清麻呂は一言でいうと
天皇家を守った人物です
この事から恨みを買い、島流しになりますけれど
その後、称徳天皇が崩御した事によって弓削道教は失脚し、
見事、和気清麻呂は政界に復帰しました。
※宇佐八幡宮神託事件に関して、神護寺 その1で詳しく解説していますのでよければご覧下さい。
(・∀・)ノこれが宇佐八幡宮神託事件です。
朝の11時に護王神社において神事が始まります。
本殿で行われましたので写真撮影は出来ませんでしたけれど
神楽の奉納などが行われていました。
こうして1時間程の神事が済んだ後
いよいよ護王神社を出発し、御所の『建礼門』へと向かいます。
![御苑の蛤御門](2012/04/04/01/2012-04-04-1.jpg)
御苑の蛤御門をくぐります。
![御所・建礼門](2012/04/04/01/2012-04-04-2.jpg)
御所・建礼門です。
徒歩ですぐです
神職の方たちが到着すると
宮司さんが代表し『宇佐神託奏上ノ儀(うさしんたくじょうそうのぎ)』
を行います。
これは、宇佐八幡宮からお告げを聞いて
帰ってきた和気清麻呂が
称徳天皇に上奏するシーンを再現しているんですね!
※上奏とは天皇に対して意見をお伝えする事です。
こうして儀式が済むと
再び、護王神社に戻り
二礼二拍手一礼をして神事は全て終了です。
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御所・建礼門の場所はコチラ↓
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