こんにちは京子です!
さて、本日ご紹介するのは
現在『京の冬の旅(非公開文化財特別公開)』にて
公開中のお寺・・・
観智院(かんちいん)です。
こちらは東寺の境内塔頭であり、普段は非公開のお寺です
※場所は東寺の北側、洛南高校の隣になります。
観智院は
東寺のお坊さんの学習施設という位置付けであり
代々、ここで学んだ学僧が住職を務めているそうです。
その他の東寺塔頭よりも格式が高く、別格本山となっています。
建物のほぼ全てが1596年の大地震より倒壊しましたけれど
1605年に北政所(きたのまんどころ・秀吉の妻)が寄進し
再建されたお寺です
客殿の内装は『床の間』や『違い棚』『帳台構え(ちょうだいがまえ)』を供えた
武家風書院造りです
他にも、剣豪で知られる宮本武蔵が描いたとされる
水墨画『鷲の図』と『竹林図』も障壁画として残っています。
宮本武蔵と言えば巌流島での佐々木小次郎との決闘など
武人の一面としての顔は有名ですけれど
文人として『五輪書』という兵法書を残したり、
時には、画人として絵を描いたりと
多くの伝説や顔を持った人物なんですよね。
※武蔵について詳しくは八大神社の記事をご覧下さい。
桃山時代に作られた四方正面の庭です。
その名前の通り、四方の何処からみても正面に見えてしまう不思議なお庭なんですよ~
宮本武蔵が描いた『鷲の図』は客殿、床の間にあります。
対面し羽ばたく2羽の鷲が描かれています。
襖に描かれた『竹林図』は、勢い良く天に向かって伸びていました。
時間も経っている為、細やかな線までは確認出来ませんけれど
力強く躍動感のある質感が伝わってきましたよ~
ちなみに、いつごろ書かれたのかと言いますと
1604年、一乗寺下り松において吉岡一門との決闘後
観智院で描かれたものだと言われています。
この時の武蔵の年齢は、なんと若干22、23歳だったと説明されていました
では、その他の見所もご紹介っ
『五大の庭』
客殿前にあるこちらの庭は
弘法大師『空海』の船旅にちなんだものです。
彼は804年に遣唐使として唐に渡り
日本に密教を持ち帰ったんですね。
※詳しいお話は東寺(教王護国寺)の記事をご覧下さい。
このお庭はそんな空海の船旅と、五大虚空蔵菩薩の姿の2つのテーマから構成されています
庭に向かって右側の苔が生え山のようになっている部分が中国の長安・越州を表し、
反対側の写真左奥側が日本を表しています。
空海が乗った船は何処にあるのかと言いますと、
写真奥から二番目の左側が少し盛り上がった細長い石が、
遣唐船を表しています。
帰り道、荒れ狂う海が遣唐船を襲っていました
そんな時、法具の一つ「独鈷杵(写真真ん中)」を海に投げ入れると
竜神(写真一番右側)に、神亀(写真一番奥)、鯱(写真一番左)が現れ
遣唐船を守りながら、日本へ無事帰れたときのことを表現しているんですね~
そして、もう一つの五大虚空蔵菩薩は何処にあるのかといいますと
日本を表現している山には5つの石が並んでいます。
これを『五大虚空蔵菩薩』に見立てられているんですね
本堂には
実物の『五大虚空蔵菩薩』もあります。
鳥や馬、獅子などの動物の上に乗った5人の菩薩様です。
これは、874年に恵運(えうん)というお坊さんが
唐から持ち帰った、とても珍しい姿の菩薩なんですよ
梅もちょうど今が見頃でした♪
そんな現在公開中の観智院の場所はコチラ↓
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