こんにちは京子です
さて、本日ご紹介するのは
東福寺の塔頭である・・・
霊雲院(れいうんいん)です!!
東福寺と同じく臨済宗のお寺になります。
※妙心寺の塔頭にも霊雲院と呼ばれる寺院があります。
創建は室町時代。
1390年に岐陽方秀(きようほうしゅう)というお坊さんによって開山されました。
彼は室町時代の高僧として知られ
4代将軍『足利義持』が深く帰依したと言われています
義持と言えば父親の義満とは仲が悪かったと言われている将軍です。
父親の死後に朝廷より送られた『太上天皇』という尊号を断った事でも有名ですね~
※義満・義持親子については退蔵院の記事をご覧下さい。
参道に沿い、堂内へと入っていきます
そこに広がるお庭が・・・
『九山八海の庭(くせんはっかいのにわ)』
江戸時代に作られたお庭だそうですけれど
しばらくの間は荒廃していたようで
昭和になってから作庭家『重森三玲(しげもりみれい)』の手によって
復元されました。
中央から大胆に広がる波紋が特徴的ですよね~
九山八海の庭では、須弥山(しゅみせん)を中心とした9つの山と8つの海が
表現されているそうですよ。
須弥山(しゅみせん)とは古代インドに伝わる世界において存在する
山であり、仏が住む場所だと言われています。
これに見立てられているのは『遺愛石(いあいせき)』と名付けられた石です
遺愛石は細川氏より送られたものだそうで
霊雲院7代住職の「湘雪(しょうせつ)」が肥後熊本の出身であり
藩主の細川氏と親交があったようです。
では、もうひとつお庭をご覧頂きましょう。
『臥雲の庭(がうんのにわ)』です。
作庭家はおなじく重森三玲の手によるものです。
霊雲院という名前をテーマに
雲と水の美しさを表現しています。
濃い色の砂は鞍馬砂と呼ばれるものだそうですよ
そして、お庭以外にも
堂内からは茶室が見えました。
『観月亭』
秀吉が行った北野大茶会で使われた茶室の移築だそうです
1階が四畳半、2階五畳半の部屋があります。
茶室では珍しい2階建てなんですね
雲(臥雲の庭)を眼下に置き、悠然と湧く雲に身をゆだねて
月を見ながら茶を楽しむ事が出来るんですね
※通常は非公開の茶室だそうです。
こちらは達磨図です。お堂内に掛けてありました。
額には『不二』と書かれています。霊雲院は、創建当時『不二庵』と称していたそうですよ。
参道と庭を直接繋ぐ門。参拝者はお堂を通りぐるっと周り込んで庭を見ます。
ちなみに幕末期には
霊雲院において
西郷隆盛と僧侶『月照(げっしょう)』が密議を交わしたと言われています。
月照は尊皇攘夷派の僧侶であり
後に、安政の大獄で幕府から追われる立場となり
西郷隆盛と2人で入水自殺を図った事でも知られています。
※『安政の大獄』に関しては圓光寺の記事をご覧下さい。
後に西郷は奇跡的に一命を取り留め
以後の活躍はみなさんご存知だと思います。
そして、タンバリンなどの楽器も展示されていました。
どうして楽器が?と思う方もいるでしょうけれど
霊雲院は
日露戦争において、ロシア兵の捕虜収容所になっていました
50名の捕虜は、8ヶ月の間
ここで寝起きをしてたんですね。
その間に楽器などを自作し、演奏していました
戦争が終わり、捕虜たちが帰国する記念にと
霊雲院に、お手製の楽器などを置いていったようです
※ちなみに東福寺では1500人もの捕虜がいたみたいですよ。
そんな霊雲院の場所はコチラ↓