こんにちは京子です
さて本日も、とある場所に行ってきました。
それが六波羅蜜寺で行われた・・・
空也踊躍念仏 (くうやゆやくねんぶつ)です
さて、さて。
ご存知の方もいらっしゃると思いますけれど
空也とは平安時代のお坊さんで
初めて民・百姓にも広く仏教(浄土教)を説いた人物なんですね。
仏教を、貴族だけのものから
農民へと普及させた第一人者と言ってもいいでしょう
彼は市の聖(いちのひじり)や、阿弥陀聖(あみだひじり)とも言われ
布教の仕方が、大変変わっていたんですね。
なんと踊りながら念仏を唱えるという
その名も・・・踊念仏(おどりねんぶつ)
今でいう所の
パラパラしながら念仏を唱えているようなもんですかね
その空也が建てたお寺というのが
今回、京子が訪れた六波羅蜜寺なんですね~。
こちらの本堂にて空也踊躍念仏が行われました。
ちなみに、京子が参加した『空也踊躍念仏』では
実際に踊念仏が再現されていました。
お堂内は撮影禁止でしたので、踊念仏の写真はないですけれど
ばっちりレポートしちゃいますよ
京子も、踊りながら念仏っていったいどんな感じ
って思っていたんですけれど・・・
黄色い袈裟を着たお坊さんたち数人が
伏鉦(ふせがね)と呼ばれる打楽器を首から下げ
お堂の中にある本尊の周りをぐるぐると練り歩き出します。
そして、伏鉦を叩きコンコンと鳴らしながら
節回しのついた念仏を唱えるんですね
頭や体を上下させ、前に進みながらリズムを取り歩く姿は
なんとも新鮮な光景でしたよ~。
それに、節回しのついた念仏は独特の発音や響きで
目からも、そして耳からも
踊念仏をばっちり感じる事が出来ちゃいました
当時、空也上人が自ら刻んだ十一面観音菩薩像を車に積んで市中を回って歩いたそうです。
空也の念仏は
疫病や天災に苦しむ民衆の心の救済として
始められたものでした
次第に多くの信者を集めた念仏でしたけれど
これを危険と感じた鎌倉幕府に
念仏は弾圧される事となるんですね
※それまで宗教は貴族だけのものでしたから、多くの民・百姓をまとめる存在は脅威だったのかもしれませんね。
しかし、六波羅蜜寺では
弾圧に耐えながらも密かに続けられた事から
「かくれ念仏」とも呼ばれるようになったんです。
例えば念仏を唱える時は、
本来なら外で念仏を唱えていたものを
お堂の中で、更にそのお堂の前には屏風を立てて
中の様子が見えないようにしていました。
念仏も『南無阿弥陀仏』を『モウダ・ナンマイト』という隠語にして
分からないようにしたのです
この他にも、通常の念仏と違い
いつでも途中で終わらせるコトが出来る念仏だそうです。
※普通の念仏は一度唱え出すと途中で止められないんですって。
これにより踊念仏の最中に
万が一見つかってもすぐに念仏を終わらせる事が出来るのです。
住職さんのお話によると
なんと昭和53年まで約800年もの間
このようなかくれ念仏を非公開で行っていたそうです
今では一般にも公開され
伝統的な念仏を見る事が出来ます。
最後に、踊念仏を行っているお坊さんたちと一緒に
かくれ念仏である「モウダ・ナンマイト」を7回唱えます。
1年間の罪を償い、良い年が来るように祈ります。
そして、最後に本尊に皆さんご焼香して終了です。
帰りに参加者全員にお守りも配っていただけました
ちなみに今回、京子が参加した『空也踊躍念仏』は
12月31日まで、毎日16時頃から1時間弱ほど開催されているそうです。
(一般参加が出来るのは12月30日までです。)
ご興味のある方は是非、足を運んでみてはいかがでしょうか?
そんな六波羅蜜寺の場所はコチラ↓
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