こんにちは京子です
さて、本日12月14日は何の日かと言いますと・・・
赤穂浪士討ち入り事件(あこうろうしうちいりじけん)の
あった日ですよね。
毎年、年末にやっている時代劇ドラマ「忠臣蔵」での吉良邸へ討ち入をした、あの事件です
という事で、この日に合わせて京都でもイベントが行われています。
頂きました。
今年はドコに行って来たかと言いますと
(・∀・)ノ法住寺(ほうじゅうじ)です
そこで本日行われたのが・・・
義士会法要(ぎしえほうよう)です。
これは、法住寺内にあります四十七士の木像です。
※義士とは、彼ら47人の赤穂浪士(四十七士)の事を指しています。
松の廊下事件を発端として
赤穂藩の筆頭家老であった大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお)は
主君である、浅野匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の
敵(かたき)を取る事を決め解体された赤穂藩を離れます
そして、家族とともに大石内蔵助良雄が移り住んだのが
京都の山科なんですね
仇討ちを考えていた大石内蔵助良雄は
討ち入りを悟られない為に
京都の花街(島原など)へ赴くようになります。
丁度、その山科と花街の間にあるのが
こちらの法住寺であり
その道中に立ち寄り
彼は本尊である『不動明王』に対して
討ち入りの成功を祈願していたと言われているんですね。
さて、朝の11時に法住寺に到着した京子
看板にもばっちり『義士会法要』の文字が掲げられています。
まずは、大石内蔵助良雄も祈願した
不動明王(通称:身代不動)前で法要が始まります
その後
大石内蔵助良雄を含む四十七士木像のお部屋において
舞妓さんによる献茶が行われました。
写真を見ておわかりだと思いますけれど
お抹茶以外にも、様々なお供えものが置かれていましたよ
この後、住職の方による法要が再度行われ
参拝者もこの時に四十七士木像に対して
お焼香を上げる事が出来ます。
そこで住職の方から、いろいろお話が聞けました。
その中でもっ
今年、初めて一般の方に公開した寺宝をひとつ見せてもらえたんです。
それが・・・
大石内蔵助良雄が書いたといわれる書状です。
山科で隠居生活をしていた彼が
四十七士の一人である
堀部安兵衛(ほりべやすべえ)に宛てた手紙なんです。
※ちなみに堀部安兵衛は四十七士の中でも一番の剣豪だという風に伝えられているんですよね。
どういった事が書かれているのか、簡単にご説明しますと
堀部安兵衛宛大石内良雄
十二月七日に申し渡す事があるので、関係者全員でいつもの場所に、道具持参のうえ集まるようにと命じる。
そこで定まったことに背いた(そむいた)者は、亡くなった主君である浅野長矩に対して不忠不義(ふちゅうふぎ)であるので、そのように心得た上で集まるようにと告げる。
なんていう風に書かれているそうですよ
これは元禄14年もしくは、15年に書かれたものだそうです。
元禄15年であれば、討ち入りの年ですよねっ。
こちらは旧御陵正門です。誰の御陵かというと後白河法皇です。三十三間堂もすぐ側にあります。
ちなみに
赤穂浪士討ち入り事件に関しては、去年の
山科義士まつり 2010(大石神社)でディープに解説していますので
そちらを是非ご覧ください
住職のお話が終わると、その後は別室にて
舞妓さんが参拝者の対してもお茶の接待をしてくださいます。
そして『討ち入りそば』も食べる事が出来ました。
討ち入りと蕎麦って何か関係があるのかなと思って調べてみると
大石内蔵助良雄率いる四十七士は討ち入りの前夜に
密かに江戸市中のそば屋に集まり
巷説そばやうどんを食べたとい逸話があるそうですよ~
ちなみに京都には
大石内蔵助良雄ゆかりの寺院も多数あり来迎院(東山)、瑞光院、大石神社などがあります。
是非、みなさんもいろいろ回ってみてはいかがでしょうか
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