こんにちは、京子です。
さて、本日ご紹介するお寺は
雀寺(すずめでら)です。
ちなみに、この雀寺は通称であり
正式には更雀寺(きょうしゃくじ)と言います。
境内へ入ってみましょう~♪
雀寺の始まりはと言いますと、
平安時代の始まる1年前
桓武天皇の勅願を受け、賢憬(けんけい)というお坊さんにより
京都三条の地に創建されました。
そして、藤原家の勧学院(かんがくいん・学校みたいなもの)にもなりました。
※ちなみに、その後は場所を転々とし現在は京都市左京区の市原にあります。
さて、そんな勧学院となっていた時代
時の住職の夢枕に一匹の雀が登場するんですね。
これこそが、雀寺と言われる理由です。
境内にありました陶器で作られた雀の群れ。
夢枕に立った雀は住職にこう言いました・・・
「わたしは雀の姿をした藤原実方(ふじわらのさねかた)なり。
不遇の死を告げた俺の為にお経を上げてくれ!チュンチュン!」
・・・と言ったそうです。
では、この藤原実方とは一体誰なのでしょう?
彼は、一条天皇に仕えていた歌人であります。
貴族の一人ですね♪
さて、そんな彼は、ある日
同僚である藤原行成(ふじわらのゆきなり)と口論になります。
※殿上で、しかも君主である一条天皇の前で口論したと言われています。
ここまでは、まだよかったんですけど
なんと、ヒートアップしちゃった藤原実方は
興奮し、笏(しゃく・貴族の人たちが持っている細長い板)で
藤原行成の帽子を払い落としちゃったんです!!
地蔵堂です。中には、壬生寺で行われる大念仏狂言でも使われる「桶取地蔵」があります。
そして、こちらが本堂になります。
さてさて。ヒートアップしちゃった藤原実方。
ここで、もう取っ組み合いの喧嘩になっても
おかしくはなかったんですけど
藤原行成は冷静さを失わず事を荒立てたりしませんでした。
一方・・・君主の前で取り乱しちゃった実方。
結果は明白で
一条天皇の怒りを買った実方は、陸奥に左遷される事となります。
逆に、冷静に対処した藤原行成の方は
その大人の対応が認められ、蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されます。
※天皇が信頼した人間だけを集めた蔵人所。詳細は市比賣神社の記事をご覧下さい。
ちなみに、当時の陸奥(むつ)は現在の宮城、福島のあたりです。
左遷された実方は
「何で俺だけ京を離れなきゃいけないんだよ。バカヤロー!!(泣)
挙句に、行成は蔵人頭だって?出世しやがってバカヤロー!!(泣)」
・・・( ´Д`)なーんて、思っていたんではないでしょうか。
しかも、実方は左遷先の陸奥で落馬し
馬の下敷きになって命を落としたんですね。
うーん、ついていないと言えば・・それまでですけど。。。
その後、いつしか
御所の清涼殿に現れてはご飯をついばみ、食べる雀が現れるようになり
「これは、京に戻りたかった実方の魂が宿った雀に違いない。」
と、言われるようになったんです。
そして、夢にまで出てきた藤原実方と名乗った雀。
住職は、境内の林で一羽の死骸を見つけ、これを供養し塚を築き
お経をあげました。
それが、この雀塚という事なんですね。
勧学院から更雀寺と名を変えた現在も
変わらず雀供養は行われているという事です。
そんな雀寺の場所はコチラ↓
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