こんにちは、京子です
さて、本日はあるイベントに行って来ました。
京都の宇治にて行われた
その名も・・・
(・∀・)ノ『宇治茶まつり』です
70年以上にもわたり行われているこちらのイベント。
毎年、10月の第一日曜日に行われているんですね
さて、まず始めに
この宇治茶まつりは3人の偉人を称えて行われます。
・栄西(えいさい)
日本において、鎌倉時代に中国よりお茶を持ち帰ったお坊さん
※栄西については建仁寺の記事をご覧下さい。
・千利休(せんのりきゅう)
現在も残る茶道の祖である事はあまりにも有名ですよね
※千利休については大徳寺の記事をご覧下さい。
・明恵(みょうえ)
日本初の茶園を作ったお坊さん。お茶の種を宇治にもたらした方でもあります
※明恵については、高山寺の記事をご覧下さい。
『宇治茶まつり』を通して
偉人3人への感謝と供養が目的とされています。
では、いってみましょー
朝9時。まず向かった先が・・・
『宇治橋』です。宇治川にかかる橋ですね
橋姫神社の記事でも、少し取り上げさせていただきました
こちらの宇治橋から、宇治茶まつりは始まります。
まずは、宇治橋の上『三の間』にて献茶に使用する水を汲み上げます。
かつてこの三の間には、橋姫神社があったんですよね。
現在は別の場所に移されています
宇治川は名水として知られていて
茶人の間でも人気の水なんです。
戦国時代、あの秀吉も、この宇治橋から水を汲み上げたそうですよ。
まずは、橋の上でお祓い・お清めが行われた後
橋の上から、縄をくくりつけた釣瓶(つるべ)を下ろします
これを三度ほど繰り返し・・・汲み上げた水を竹筒に入れ替えます。
竹筒にも直接入れ替えるのではなく
汲み上げた桶からそのまま台の上に用意している桶へ水を流します。
さらに、その桶から別の桶へと今度は柄杓を使って移しかえられ
これにて、名水ゲットです
さて、この水をどうするのかと言いますと
・・・ある場所へ持って行きます。
それが
興聖寺(こうしょうじ)です
鎌倉時代の僧『道元』によって建てられたお寺です。
興聖寺へはどうやって移動するのかといいますと
宇治橋から平等院の方へ向かい
宇治川にある二つの島
塔の島と橘島を経由して
興聖寺へと移動するんですね
平等院の前の通りと塔の島を結ぶ橋「喜撰橋」を渡っている所です
さて、お堂の中を見てみると・・・
茶葉が茶壺に入れられ、仏前に供えられています。
興聖寺に宇治川の水が届けられた所で
到着
いよいよ、10時より始まります
※残念ながら祭事中は撮影不可でした
宇治茶まつり実行委員長の方より挨拶があり、
『茶壺口切りの儀』が始まりました
介添人より、茶壺が手渡され
その壺を羽箒(はぼうき)でさささっと掃いて、清めます。
そして、小柄(こづか)と呼ばれるカッターのようなもので、茶壺の封を切ります。
封を切るのも、一気に切るのではなく半周を2回に分けて切れ目を入れ
さらに茶壺の向きを変えて残りの半周を同じように2回に分けて切ります。
そして、茶葉を取り出し石臼で擦ります。
石臼で擦るのも5分ほどかけてゆっくりと擦られていましたよ
口切の儀はコレにて終了になりますけれど、
一つ一つの動作が、静と動に分かれていて見ていてとても美しかったです
そして、いよいよ献茶です。
挽いた茶葉に、いよいよ汲み上げた水をプラスします。
この竹筒によって運ばれてきた宇治川の水が使われるんですね
献茶は「裏千家の千宗室(せんそうしつ)家元」が努められたんだそうですよ。
こうして、煎れられたお茶は
建仁寺から来られたお坊さんによって
仏前に供えられました。
先ほどもご説明したように
建仁寺はお茶を中国から持ち帰った栄西によって
建てられたお寺ですよね
そして、興聖寺門前では、茶筅塚(ちゃせんづか)にて
茶筅の供養が行われます。
※茶筅とは、竹で出来た、お茶をかき混ぜるクシのような茶道具の事です。
参列者が持ち寄った茶筅が沢山ありますね。
まずは住職さんから
その後、関係者の方も同様に茶筅を供養されて儀式全体は終わりました
また、先にご紹介しました橘島では「お茶のみコンクール」という茶種をあてるイベント等も行われていましたよ
そんなお茶まつりが行われた宇治橋はコチラ↓
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橘島と塔の島はコチラ
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興聖寺はコチラです。
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