こんにちは京子です。
さて、本日ご紹介するお寺は・・・
白雲神社(しらくもじんじゃ) です。
まず、始めに場所はドコなのかと申しますと
京都御所もある、御苑内になります♪
さて、白雲神社の始まりはと言いますと
藤原氏の流れを汲む公家である
西園寺家(さいおんじけ)ゆかりの神社なんですね。
その西園寺家の祖と言われているのが
西園寺公経(さいおんじきんつね)というお方っ。
鎌倉時代は太政大臣も務めたほどの人物なんです。
彼は、京都御所より北西の方角に
北山第(きたやまてい)という山荘を造営します。
そして、その地に鎮守社として建てられた
『妙音堂』が白雲神社のはじまりと言われています。
あ!ちなみに、この北山第はその後・・・
ミスター室町幕府『義満』に受け継がれ、金閣寺(鹿苑寺)が
建てられる事となるんですね~。
ちなみに、こちらが絵馬なんですけれど
琵琶が描かれていますよね。
これは、西園寺家(さいおんじけ)が琵琶のお家元として
知られているからなんです。
祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。
彼女は七福神の弁天様としても知られています♪
そうです、あの琵琶をもった天女のような人が弁天様っ。
この事から、白雲神社は『御所の弁天さん』なんて
言われたりするそうです。
さてさて、鎌倉時代から時は経ち
現在の地(御苑内)に再び、『妙音堂』が建つ事になったのは1769年。
この場所はかつて、西園寺家の私有地だったそうです。
写真左手にあるのは手水鉢です。
では、ここでもう一人っ
西園寺家の方をご紹介したいと思います。
それが・・・
(・∀・)ノ西園寺公望(さいおんじきんもち)です。
彼は明治期、内閣総理大臣にまでなった
近代日本の礎であり、とっても偉い方なんですね。
そんな公望が、総理大臣になる前
この場所で、私塾『立命館』を開いていました。
そうです、現在の立命館大学は
この私塾から名前が取られたそうですよ。
西園寺家はその後、京都から東京へと
移動する事となりますが、『妙音堂』は白雲神社と名前を改め
この地に残る事となったというワケです♪
さて、西園寺公望として忘れてはならない話として
人種的差別撤廃提案があります。
当時、世界は帝国主義でした。
第一次世界大戦が終わり、1919年、パリ講和会議が開かれ
ここで
アメリカやイギリス、フランスなどを目の前にして
堂々と、日本側は人種的差別撤廃提案を行ったんですね!
カッコいい♪
その時の主席全権だったのが西園寺公望でした。
国際会議において、人種差別撤廃を世界で最初に主張したのは
これが初めてであり
・・その国こそが、日本なんです!
なんとも、誇らしげな話だと思いませんか♪
そんな西園寺家ゆかりの白雲神社の場所はコチラ↓
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