こんにちは京子です。
さて、本日ご紹介するお寺は
天寧寺(てんねいじ)です。
場所は?と言いますと京都市北区になります。
目の前には『寺町通り』が走っています。
この寺町通りは、その昔
秀吉が、お寺をこの通りにずらっと集めた事は有名ですよね♪
※秀吉の行ったこの政策については『御多福珈琲』の記事をご覧下さい。
さて、この天寧寺の始まりは?と言いますと
もとは会津若松(福島県)にあったお寺なんです!
作ったのは、楠木正成の孫にあたる傑堂能勝(けつどうのうしょう)という人。
もとは武将で24歳の時に戦場で負傷した事がきっかけで、お坊さんとなったんですね。
でも、どうして福島にあったものが京都に!?
その理由は
1586年。独眼流でおなじみの伊達政宗が畠山氏を滅ぼす為に
会津へ攻め入り、会津若松は戦場と化したんですね
それがもとでお堂は焼失。
戦の続く、会津での再建を諦めた
天寧寺、住職さんは
本尊や寺宝を手に京都に移転し再建したという事です。
では、ここで・・・
一枚の写真をご覧頂きたいと思います!
こちらから見える景色はいかがですか?
正面の門から境内の中を撮影した様子です。
この日は、曇り空で、あまり上手に撮影出来ていませんけれど
写真、中央には比叡山の山並みが見えています。
まるで、比叡山を見事に描いた絵が額縁に入ったように見えませんか??
見事に比叡山を借景にしてる天寧寺の門は
通称『額縁門(がくぶちもん)』と呼ばれています。
境内に、比叡山の山を邪魔するお堂なども無い事から
あらかじめこの門を通して見える景色を計算し、作られた事が伺えます♪
(・∀・)ノうーん、グッジョブな設計ですね。
そして、こちらは観音堂になります。
中にはどんな観音様がいらっしゃるのかと言いますと
東福門院(とうふくもんいん)と、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)
それぞれの念持仏があります。
ちなみに、この2人の名前を聞いてピンと来た人いらっしゃいますか?
そうです、この2人は夫婦ですよね~♪
ちなみに、東福門院は、徳川二代将軍『秀忠』の娘さんで、天皇家に嫁いだ女性です。
母親は、現在、大河ドラマの主人公である江(ごう)になります。
※この夫婦のストーリーに関しては『光雲寺』の記事をご覧下さい★
境内にはニワトリを上に乗せた石造がありました。
そして、この奥には巨大なカヤの木があります。
高さは16メートル・幹の太さは4.78メートル。
樹齢は長く、現在は殆ど枝葉はなくなっていますけれど
京都市の天然記念物にも指定されています。
参道を挟んで向い側には『稲荷大神』がありました。
こちら奥には、本堂があります。
鐘楼になります。
更に奥には庫裏(くり)がありますよ。境内の石畳も素敵ですね。
ちなみに、天寧寺の墓地には
江戸初期、武士で茶人でもある金森宗和(かなもりそうわ)のお墓なんかもあります。
彼は三千院のお庭を手がけた事でも知られているんですよ~♪
※三千院については『三千院』『三千院の桜』の記事をご覧下さい。
という事で、春には見事な枝垂桜も
見る事が出来る天寧寺の場所はコチラ↓