さて、本日も祇園祭関連の神社をご紹介したいと思います。
八坂神社の摂社になります・・
悪王子社(あくおうじしゃ)です!
なんだか、すごく悪い名前なんじゃ?と、お思いかもしれませんけれど
悪王子の悪とは、悪い・邪悪という意味ではなく『力強い』『強力な』という意味なんですね。
場所はと言いますと、八坂神社境内。
本殿のすぐ東側にあります。
ちなみに、すぐ隣には、以前ご紹介した美御前社が建っていますよ。
さて、この悪王子社に祀られているのが
日本神話の神様の一人である素戔嗚尊(スサノオノミコト)の
・・・荒御魂(あらみたま)なんです!
あ、ら、み、た、ま?
荒御魂とは、神様の霊魂の種類のひとつで、荒々しい勇猛な魂をそう呼びます。
この悪王子社はもともと、別の場所から1877年に八坂神社へとやって来ました。
では、もともとドコにあったのかと言いますと・・
場所は東洞院四条を南に下った場所に位置します。四条烏丸から徒歩2分くらいの場所です。
その場所には、こうして小さな祠が建っています。
豊臣秀吉の命令により、この場所から悪王子社は移動させられる事となるんですけど
これをご覧ください
そうなんです。見事に、町名だけが残る事となったんですね。
その名も『元悪王子町』驚きの町名です。
さて、そこからすぐに八坂神社へ移されたワケではなく、
更に南に徒歩数分の距離の場所へと移動します。
なんと、そこの地名は『悪王子町』なんですよね。
そして、お待たせしました。
1877年に、
八坂神社の摂社としてこの地に悪王子社が建てられたというワケです
流造りの本殿を横からパシャリ♪
では、ここで突然ですけれど悪王子社と
祇園祭の関係についてもお話させていただきたいと思います。
元悪王子町に建てられていた立て札に書かれている内容と併せて
簡単にご説明させていただきますね♪
祇園祭の、そもそもの始まりは
神泉苑にあったと言われる祇園社(現、八坂神社)で66本の鉾を建てた事によります。
※詳細は神泉苑 その1の記事をお読み下さい。
では・・・どうしてそんな事をしたのか?というと
政治的陰謀により非業の死を遂げた人の怨霊を慰める事で
京都に広がっていた疫病や、災害を鎮めたかったんですね
つまり、彼らの恨みによって病気が流行っていると考えられていたのです。
この鉾を建て始めた頃の時代背景を少しご説明しますと
中央(京都)は藤原氏全盛の時代でした!
藤原氏は自分達以外の人間を京都から追い出した挙句、今度は身内争いを始めちゃっていたんですね。
ま、つまり恨まれ事が絶えなかったという事でもあります。
※有名なのが早良親王の祟り(崇道神社)や昌泰の変(北野天満宮 その2)です。
こういった事から京の町には病気が流行っているんじゃないかと
考えられ、祇園社に鉾を立てるようになったんですね。
ちなみに、京都以外はどうなってたの?と言うと
関東では平将門(たいらのまさかど)が新皇として名乗りを上げ乱を起こすんですね。
それが「平将門の乱」です。
※詳細はずいき祭 ずいき神輿・神幸祭(北野天満宮)をご覧下さい。
この他にも
藤原純友(ふじわらのすみとも)と呼ばれる、藤原氏の一人が
瀬戸内海の海賊を率いて乱を起こしています。
それが「藤原純友の乱」です。
※この2つの乱を併せて『承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)』と言います。
つまり、地方が穏やかな状況ではなかったんですね。
こういった乱の度に、多くの人間が死にます。
それに加え、多くの罪人を処刑しました。
それまでは、病気が流行する度に
怨霊を鎮めていた祇園祭でしたけれど
この頃からは、病気が流行る前に祇園祭を行うようになり
現在の形に(年に一度行う)なったと言われているんですね。
ちなみに、これらの怨霊の祟りや怨念を
どうやって鎮めようかと考えた結果、辿りついたのが
素戔嗚尊(スサノオノミコト)だったワケなんです♪
※写真は貴船祭(貴船神社) その1の際に撮影した素戔嗚尊です。
素戔嗚尊はヤマタノオロチを倒した
とても力強い神様として崇拝されていました。
彼の力を借りて祇園社(現、八坂神社:祭神はもちろん素戔嗚尊です)に鉾を建てたんですね。
そして、その荒ぶる魂(荒御魂)を祀っていた悪王子社は
結果的に、素戔嗚尊を祀る八坂神社の元に移されたという事なんですね♪
そんな悪王子社の場所はコチラ↓
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元悪王子町の場所はコチラ↓
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悪王子町の場所はコチラ↓
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