こんにちは京子です
さて、本日ご紹介するのは・・・
![折上稲荷神社の鳥居](2011/03/24/01/2011-03-24-1.jpg)
折上稲荷神社(おりがみいなりじんじゃ)
幕末には、女官の間で流行った病気を鎮める為に
孝明天皇がこちらに、病気平癒を祈願し
「長命箸」を奉納された事から
女性守護のお稲荷さんとしても有名です
![折上稲荷神社のこま札](2011/03/24/01/2011-03-24-2.jpg)
場所は、京都の山科に位置する事から「山科稲荷」や
「伏見稲荷奥の宮」とも呼ばれています。
※伏見稲荷の奥社という意味です。
![折上稲荷神社の稲荷塚](2011/03/24/01/2011-03-24-3.jpg)
正面の鳥居を潜り、しばらく歩くと左手には古墳と考えられている「稲荷塚」があります。
写真の左手の石碑には
中臣群集墳跡(なかとみぐんしゅうふんあと)と書かれているのがおわかりでしょうか
この折上稲荷神社もある山科という場所は
その昔・・・
中臣氏が支配していた土地だったんですね。
中臣氏と言えば
中臣鎌足(なかとみのかまたり)があまりにも有名です
※この中臣群集墳跡に、中臣鎌足の家があったとされています。
中臣鎌足は、なんといっても藤原氏の祖と言われていますよね。
なぜかと言うと
大織冠(だいしょくかん)という官位と供に
藤原姓を、天皇から授かったからなんです。
つまり、彼から藤原家が始まったというワケです。
以後、天皇家と藤原氏の繋がりが強くなりました
![折上稲荷神社の摂社・末社](2011/03/24/01/2011-03-24-4.jpg)
稲荷塚にはいくつかの摂社・末社があります。
こちらは三九郎稲荷(さんくろういなり)。
人が生きる上での三大苦労(つまり、さんくろう!?)を取り除いてくれるご利益があるそうです。
![折上稲荷神社の木のコブ](2011/03/24/01/2011-03-24-5.jpg)
稲荷塚への道には、木のコブがありました。
これは「お稲荷さんの授け知恵」と呼ばれるものです。
![折上稲荷神社の木のコブ説明](2011/03/24/01/2011-03-24-6.jpg)
人間の脳みそにそっくりな形をした木のコブは
図に沿って、伸ばしたい部分をさするといいそうですよ
![折上稲荷神社の寶大神(たからだいじん)](2011/03/24/01/2011-03-24-7.jpg)
こちらは、株・宝くじ・賭け事の神様である「寶大神(たからだいじん)」です。
![折上稲荷神社の兵吉大神](2011/03/24/01/2011-03-24-8.jpg)
「兵吉大神」です。多数の石碑が折上稲荷神社にはあるんですね。
では、
中臣鎌足に藤原姓を授けたのは誰かと言いますと・・・
天智天皇(てんじてんのう)です
天智天皇は
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)という名前でも知られていますよね。
中臣鎌足と中大兄皇子(天智天皇)は
主従関係にあるんですけど
この2人が中心となって行ったスゴい事と言えば
なんといっても
乙巳の変(いっしのへん)という暗殺劇です!!
当時、有力な豪族である蘇我氏が政治に多大な影響を与えていました。
蘇我氏の専横と呼ばれたりします。
聖徳太子以来の律令政権を目指した中大兄皇子たちにとって、蘇我氏は邪魔な存在だったと言われています。
そこで出会ったのが、中臣鎌足
※2人が蹴鞠の会で出会ったエピソードは有名ですよね。
中大兄皇子らが皇族たちと集まり蹴鞠をやってた中
彼が鞠を蹴った瞬間、靴まで飛んでいきました。
その飛んでいった靴を中臣鎌足が拾い
中大兄皇子に手渡したというエピソードがよく描かれています。
![折上稲荷神社の拝殿](2011/03/24/01/2011-03-24-9.jpg)
拝殿です。折上稲荷神社という名前は、「織上げ」に通じるという事で西陣の織物業者(西陣織)の信仰を受けていて、多くの西陣織を集蔵しているそうです。
![折上稲荷神社の左は「春吉大明神」右は「三一朗爾」の石碑](2011/03/24/01/2011-03-24-10.jpg)
向かって左は「春吉大明神」右は「三一朗爾」の石碑があります。
2人は強い結束で結ばれ
蘇我氏を排斥する為に立ち上がります。
そして、645年に蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺
ちなみに入鹿は、聖徳太子の息子を追いやった人物であります。
そして入鹿の暗殺が原因で
蘇我蝦夷(そがのえみし)は自宅に火を放ち自殺しました。
これが、乙巳の変です。
結果的に
彼らにより蘇我氏を追い出す事に成功
構造改革をし、律令制度を目指しました!!
これが、乙巳の変から始まった
一連の政治的政変「大化の改新」です。
つまり、天皇家と藤原家の強い繋がりのはじまりは
この乙巳の変がきっかけだったんです
ちなみに、中臣鎌足は昔は、鎌子(かまこ)と以前は名乗っていました。
現在では女性の名前に多い、「子」という字ですけど
小野妹子、蘇我馬子などなど
ずっと昔は、男性も使う漢字だったんですね~
そんな中臣群集墳跡でもある
折上稲荷神社の場所はコチラ↓
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