こんにちは京子です

さて、本日は・・・

瑞峯院の正面入り口

瑞峯院(ずいほういん)です。

大徳寺の塔頭のひとつで、常時公開しているお寺です。


大徳寺には23もの寺院が集まっているんですけど

常時公開しているのは瑞峯院を合わせて4つだけなんですね

その中には以前ご紹介した高桐院もあります。


瑞峯院の駒札

瑞峯院が建てられたのは1535年、室町時代後期です。


では一体、誰が作ったのかと言いますと

豊後(現在の大分県)の守護大名である

大友宗麟(おおともそうりん)という人です

※ちなみに宗麟という名前は法号で、名前は義鎮(よししげ)と言います。


大友宗麟は自らの菩提寺として

瑞峯院を作ったんですね。


瑞峯院の「独坐庭(どくざてい)」と書かれた石碑

こま札の隣には「独坐庭(どくざてい)」と書かれた石碑を発見。


そうなんです

こちらの瑞峯院は、お庭がとても有名な

寺院のひとつでもあるんです


どんなお庭と出会えるのか楽しみにしながら

早速、中へと入ってみたいと思います


瑞峯院を道なりに進んでいきます。

道なりに進んでいくと・・・


瑞峯院の創建当時から残り、重要文化財に指定されている唐門

創建当時から残り、重要文化財に指定されている唐門があります。

現在、こちらは通る事が出来ません。


瑞峯院のお堂

唐門の手前から右手に伸びる道を進んで

こちらからお堂の中へと入って行きます


瑞峯院の方丈

中を歩くと方丈が見えてきました。

こちらも唐門と同じく重要文化財に指定されていますよ。


瑞峯院の独坐庭

冒頭の石碑に書かれていた「独坐庭」は、この方丈から見る事が出来るんですね


昭和初期の作庭家である

重森三玲(しげもりみれい)の手によるものです。


彼は、瑞峯院の他にも松尾大社や、東福寺

お庭も手がけている、超一流の作庭家です


確かに、そういわれてみると

東福寺の八相の庭に通じるものがありますよね


瑞峯院にある蓬莱(ほうらい)と呼ばれる中国に伝わる仙人の住む山に見立てた岩

というのは、蓬莱(ほうらい)と呼ばれる中国に伝わる仙人の住む山に見立てた岩を配置している点です。


八相の庭のひとつにも、蓬莱は登場しましたよね


蓬莱に荒波が打ち寄せている姿を

枯山水のお庭で表現しているというワケです。


お庭が有名な瑞峯院は

この独坐庭に加え、3つのお庭が

方丈を中心にして取り囲むように配置されています


瑞峯院の2つ目のお庭にあたる、茶庭

こちらは2つ目のお庭にあたる、茶庭です。

もちろん、重森三玲の作庭です。

独特の形をしている庭だと思いませんか


そして、ぐるっと方丈の裏側へと回り込むと

瑞峯院の安勝軒(あんしょうけん)

向かい側には、茶室である

「安勝軒(あんしょうけん)」が見えました

瑞峯院の安勝軒の中

ちなみに、安勝軒の中はこのような感じになっていましたよ。


さて、瑞峯院を作った大友宗麟は

キリシタン大名であった事でも有名なんですね。

ちなみに彼には「ドン・フランシスコ」という洗礼名もあります。


キリシタン大名であった宗麟ですけど

名前に関しては、洗礼名よりも法号である「宗麟」の方が有名なのは・・なんだか不思議な感じですよね

※法号は仏門に入った際に与えられる名前です。


豊後の守護大名、大友家に生まれたお坊っちゃんで

フランシスコザビエルとの出会いが

キリスト教信者になるきっかけだったそうです


加えて、彼は

日本初の総合病院を作った事でも有名なんですね。


宣教師の持ってきた鉄砲が暴発してしまい宗麟の弟が怪我した事がありました。

その時に進んだ西洋医学の治療法に感銘を受けた宗麟はその技術を用いた病院を作ったんですね。しかも、無料で診察・治療を受ける事が出来たそうでとても太っ腹な大名さんだったんですね。


現在、大分県には、そんな彼の功績を示すかのように

「大友宗麟像」や「西洋医学発祥記念碑」が建っています。


では、お待たせしました

いよいよ3つ目のお庭を紹介したいと思います。

瑞峯院の閑眠庭(かんみんてい)

閑眠庭(かんみんてい)


この角度から見ると、手前から真っ直ぐに石が一直線上に配列されているのが分かりますか?


そして、それと垂直に交わるように

左から右へも石が並んでいるんですね。


十字架の庭とも言われていて

垂直に交わった石の配列が十字架に見立てられているそうで

キリシタン大名であった宗麟にちなんだものだという事です。

もちろん、こちらも重森三玲の作庭によるものです


瑞峯院のキリシタン灯篭

キリシタン灯篭も境内のお庭にありました。

曼殊院にも、同じくキリシタン灯篭がありましたよね。


普通の灯篭と、キリシタン灯篭は

具体的にどのように形が違うのかと言いますと

キリシタン灯篭には台座の部分がなく、地中にそのまま埋まっているんですね。


その他にも、キリシタン灯篭の根元部分には

なにやら人物をかたどったものが彫ってあったりします


作られた時代によっても形は様々なんですけど

このキリシタン灯篭の作られた理由は


キリスト教禁止に伴い、密かに祈りを捧げる為の礼拝物の役割があったという事です。


さて、お庭やキリシタン灯篭に加えて

境内墓地には宗麟のお墓もありました

キリシタン大名であった宗麟は、1587年に死去します。


彼の葬儀はキリスト教式、仏式の両方で行われ、ひとつは大分県、もうひとつはこの京都にお墓が残される事となったんですね


そんな、キリシタン大名である大友宗麟の菩提寺であり

重森三玲にって手がけられた3つのお庭が魅力的な

瑞峯院の場所はコチラ↓


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