こんにちは京子です。

さて、今日は

妙心寺の塔頭(たっちゅう・境内の中に建てた小院)である

退蔵院の入り口

退蔵院(たいぞういん)です


退蔵院のこま札

そして今回は室町幕府の将軍であった

3代目、足利義満(あしかがよしみつ)

4代目、足利義持(あしかがよしもち)


についても併せてご紹介したいと思います~


退蔵院の入り口その2

さて、こちらの退蔵院は

妙心寺の境内10万坪の中にございまして


沢山のお寺を一気に回れちゃいます。

塔頭がひしめき合ってる状態なんですね♪


退蔵院のまねき猫

門をくぐると早速、猫ちゃんがお出迎えしてくれます


まずは、この退蔵院に来たら

是非チェックせねばと思っていたのが

国宝である・・・

退蔵院の瓢鮎図

瓢鮎図(ひょうねんず)


上に文章が、そして下には絵が書いてありますけれども

こちらの絵をよーく見てみると

人間が何かの上に乗っていますよね

これ、実は


ナマズなんです

そして、そのナマズの上に乗ってる人が手に持っているもの

それが・・・

瓢箪(ひょうたん)!


でも、どうしてひょうたんを持った人が

ナマズの上に乗ってるのかと言いますと


これは禅の公案、つまり試験問題なんですね


今でいう、お笑い番組の

「写真を見て一言!!」

ってな感じで


「さて、ナマズの上にのったひょうたんを持ったこの男。これってどういう事?」

というのが問題なんですね


そして、31人の人たちの答案が、この絵の上に書いてある文字だったのです♪

※なまずという漢字は「鯰」と書きますがこれは日本の文字で、中国では鮎と書いて「ナマズ」と読むんですね。


ちなみに、みなさん

どんな回答を出しているのかというと

『瓢箪で鮎を押さえつけるとは、なかなかうまいやり方だ。もっとうまくやろうなら、瓢箪に油をぬっておくがよい』(周宗)

『瓢箪でおさえた鮎でもって、吸い物を作ろう。ご飯がなけりゃ、砂でもすくって炊こうではないか。』(梵芳)

と、知恵を絞ってお答えなさっております


これを書かせた人というのが

室町幕府4代目将軍「義持(あしかがよしもち)」で

この人は、お父さんである3代目将軍「義満(よしみつ)」 と、

とっーーーーても仲が悪かったそうです。


退蔵院の方丈

こちらは瓢鮎図のある方丈。

退蔵院の杉戸絵

方丈にはこうした杉戸絵があります。


退蔵院の杉戸絵その2

境内の杉戸絵や襖絵は狩野了慶によって書かれたものなのです~


さて、ちなみに3代目将軍「義満(よしみつ)」が行った事で

有名な事と言えば


金閣寺を作った事!


そして

勘合貿易(かんごうぼうえき)ですよね。

日本と中国(当時は明)による貿易は

朝貢(ちょうこう)だったんですね。

日本は中国の属国になって行ったのが、この勘合貿易なのです。


属国と言っても

日本は中国を親と思い、敬意を払い

中国から見ると、日本は子供のような扱いで

いわば身内となるわけです

こうなると何がいいかというと、


(・∀・)ノ可愛がってくれるっ

そのままですけど


親と子供が一緒にレストランへ行ってお金払うの誰?っていわれると親ですよね?

そんな感じです


この時、室町幕府は財政難でした。なんとかしてお金を儲けなければ!


貢物さえ中国に持っていけば(朝貢)

子供をムゲに出来ない親はそれに対して

権威を示す為に膨大な下賜(かし)を与えくれたのです。


退蔵院 元信の庭

こちらは方丈から見える「元信の庭」。数々の襖絵や杉戸絵が生きた襖になる為に作られた枯山水の庭園です。


そして、この勘合貿易に使われたのが

勘合符(かんごうふ)

そもそも、この勘合貿易は

この勘合符を使う事からそう呼ばれたんですけれど

これは何かというと


文字が書かれた木の板をを2つに割ったもので片方ずつ

それぞれ、日本と中国側が持ちます。

日本が中国へ入港した時にこの片方の勘合符を出し、中国側の勘合符とぴたりと合えば公認の船だと認められます。

つまり、今でいうセキュリティパスなんですね。


なんでこんな事をしていたかというと

当時、海賊(倭寇)が多発してたんです!


でも、海賊なんてひと目見ればわかるでしょー

大砲とか装備してる仰々しい大船なんだし。


・・・と思ってらっしゃる方!

実は少し違ってまして、海賊も商人なんですね。


しかし

・・・普通の商人と違うところが


商談がまとまらないと突然豹変し襲ってくる!!!

これが当時、中国に出没している海賊だったのですね。


さて、退蔵院の方丈を出て進んでいくと


道を挟んで2つのお庭が目に入ります


退蔵院 陰の庭

陰の庭


退蔵院 陽の庭

陽の庭


黒砂と白砂によって陰陽を表している2つのお庭。

すばらしいですね~


そのまま真っ直ぐ進んでいくと今度は・・・


退蔵院 羅漢石

羅漢石(らかんせき)が見えまして


退蔵院の水琴窟

キン・・・キン・・・・キン・・・・

とどこからともなく音がすると思うと??


ありましたっ。

退蔵院の水琴窟その2

水琴窟(すいきんくつ)~やっぱりこれはいつ見てもいいですね。


そのまま進んで行くと

退蔵院の瓢箪窓

ん?これは!?


(・∀・)ノそうなんです、こちらでお茶が頂けます♪

と、いう事でやっぱりここは・・


退蔵院で頂けるお茶と和菓子

いただいちゃうしかないでしょう~っ。

よく見ると、お菓子にもひょうたんとナマズが描かれていますね

ごちそうさまでした。


さて、

勘合貿易を行っていた3代目将軍「義満」は

中国の皇帝より、1395年に「日本国王」の称号を獲得します。

これってどういう事?と言いますと

3代目将軍「義満」は日本の天皇になりたかったんですね


その事もあり、彼の没後

朝廷より「太上天皇」の尊号を贈られるも

・・・・これを拒否したのが

なんと息子の4代目将軍「義持」


でもどうしてこんなに仲が悪かったんでしょう・・・


親父である義満は面子を捨てて実利を優先させ勘合貿易を中国と始めました。

しかし、息子の義持は中国の属国になる事に対して

プライドが許さなかったんですね。

勘合貿易も死後、中止されました


退蔵院 余香苑

こちらは余香苑(よこうえん)、昭和の名園と言われています。


この2人の不仲説は有名ですし

もっと他にも

不仲になる原因があったのかもしれません。


父親である義満のする事を義持は

全部否定してやるぜなんていう姿勢であったのかもしれません。

義満憎けりゃ勘合貿易まで憎い!!


という可能性もありますね~


そんな退蔵院の場所はコチラ↓

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