こんにちは、京子です。

さて、本日は

皇位が2分された南北朝時代に、

南朝の「嵯峨御所」として使われたお寺

大覚寺

大覚寺(だいかくじ)です!!


そもそも南北朝時代ってどんな時代なの

という解説とご一緒に、この大覚寺をご紹介したいと思いますっ。


天皇家が南北2つに分裂した時代があり、室町時代の初期にあたります。

そうです、つまり・・・


天皇が2人存在していた!って事なんですね。

※その間の1336年~1392年までを差すのがこの南北朝時代なのです。


大覚寺の参道

こちらから、いよいよ大覚寺に入ります。そろそろ夏の日差しも大人しくなってきたかな?


大覚寺の石碑

ここ大覚寺は嵯峨天皇の離宮であったものを、彼の娘さんがお寺にしたのが始まりです。


大覚寺のこま札

大覚寺(旧嵯峨御所)という名前が付いています。そうなんです、南朝の御所と言われていたのがここだったんですね。


さて、

冒頭の写真にあった大門(表門)を通って中に入ると・・・

大覚寺の華供養塔

華供養塔です。

お華の供養???

と思って調べてみると

嵯峨天皇を開祖とする華道の一派である

「華道嵯峨御流(かどうさがごりゅう)」を

今に伝えるお寺としても有名だったんですね

なるほど~、華道だから、お華の供養塔が建っていたんですね。


ちなみに、嵯峨天皇は「三筆の一人」として以前ご紹介しましたけれど

達筆なだけでなく、

華道にも精通した人だったんですね


それもそのはず、

なんとこの大覚寺には大きな池があるんですけど

それが

大覚寺の大沢池

こちらの大沢池(おおさわいけ)


嵯峨天皇が、この大沢池の花で生け花をしたのが発祥と言われ華道嵯峨御流が生まれたそうです。


しかも、この池は日本最古の人口の池なんですよね~。


そしてこの池は「日本三大名月観賞地」としても有名で今月は中秋の名月「観月の夕べ(お月見)」という行事も行われ、この池の中を船に乗って月見が出来るんですね。嵯峨天皇もここから綺麗なお月様を見たんでしょうね~。


さて、南北朝時代に話を戻しますと・・・

そもそも、どうして2人も天皇が出る事になったの


と、いうとその原因は後嵯峨天皇にあるんですね。

簡単に言ってしまうと・・・


ふらふらしちゃってた!という事です。

ここで後嵯峨天皇の2人の息子を紹介したいと思います。


一人が、お兄ちゃんの後深草天皇(ごふかくさてんのう)。


そして、弟の亀山天皇(かめやまてんのう)。


当初はお兄ちゃんの後深草天皇に継がせ、自分は上皇となって政治を取り仕切ってました。

つまり、院政ですよね。

しかし、だんだん弟の方が可愛くなってきちゃった後嵯峨天皇は・・・お兄ちゃんを退位させ、今度は弟に天皇をやらせちゃうんですね


そして、このまま・・・後嵯峨天皇は崩御。

そのままお兄ちゃんである後深草天皇が院政を

弟である亀山天皇が天皇をという形になったんです。


ですが、お兄ちゃんは

邪魔なお父さんがいなくなっちゃった事で自分のしたいように権力を行使し始めるんです。

その事がきっかけで、弟と反りが合わなくなり、

兄弟喧嘩が勃発


そこに幕府が仲裁に入る形で

10年ごとに天皇を交代します

そして、ここに南北2つの系統が出来たんです。


南朝・・大覚寺統(だいかくじとう)by 亀山天皇ファミリーチーム


北朝・・持明院統(じみょういんとう)by 後深草天皇ファミリーチーム


そして、この亀山天皇ファミリーチームの本部が大覚寺だったんですね


さて、・・・その大覚寺の中に入ると

大覚寺の境内

皇室の紋である、菊花紋が右手に見えますよね~。


右手にあるのが「式台玄関(しきだいげんかん)」、そして左手には「明智陣屋(あけちじんや)」があります。


式台玄関には

大覚寺の輿(九曜菊紋入)

輿(九曜菊紋入)が飾ってあります。

この九曜菊というのは、御宇多法皇所要の紋です。

彼は亀山天皇の息子であり、ここで南朝の院政を行っていたんですね~。


大覚寺の花

そして、この素敵なお花の数々。

華道嵯峨御流の人たちによる作品なのでしょうね~

お寺といけばなの融合、調和していて圧倒されちゃいました


ここから、それぞれの建物は

大覚寺の渡り廊下

このように渡り廊下で繋がっています。


ざざっとご紹介させていただきますね~。

大覚寺の宸殿

こちらが、宸殿(しんでん)。


廊下はうぐいす張りになっていて、キュキュキュと音がなる仕組みになってます。


そして、中に入るとキラキラ輝く様々な襖絵を発見!

大覚寺の牡丹図

牡丹図(ぼたんず)


大覚寺の紅白梅図

紅白梅図(こうはくばいず)


大覚寺の柳松図

柳松図(やまぎまつず)


すべて、狩野派の絵師である、狩野山楽 (かのうさんらく)の作品です。


そしてこの宸殿から

中庭の方に目を移すと2本の木が。

大覚寺の右近「橘」

右近「橘」


大覚寺の左近「梅」

左近「梅」


ひな人形を飾る時に、橘と桜も飾りますよね~。

「左近の桜、右近の橘」と言いますけど、その右近と左近。


そもそも、

中国の影響を色濃く受けていた頃は右近も左近も梅だったそうですよ。

大覚寺の御影堂

そして、こちらは御影堂(みえいどう)

中には嵯峨天皇や弘法大師(空海)、そして後宇多法皇などの尊像が安置されています。


大覚寺の五大堂

五大堂(ごだいどう)

嵯峨天皇が天下泰平、五穀豊穣を祈念して建てられたそうです。


そしてぐるっと回って

「正寝殿(しょうしんでん)」は後宇多法皇が院政をとった部屋だそうで、ここには綺麗な装飾や絵画の数々がありました。


大覚寺の野兎図

野兎図(渡辺始興筆)

兎と草だけのシンプルな造りながら正寝殿の腰障子12面にそれぞれ様々なポーズの兎が描かれています。


さて、ここまで書いていて、はっと気づくと・・・


( ´Д`)かなりのボリュームである大覚寺。

まだまだ、見所は沢山あるのですよーーーっ


と、いう事でこの続きはまた今度書かせていただきます。

続編に期待しておいてくださいませーっ。


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