こんにちは、京子です。


さて、本日は明からやって来た僧侶である

隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師が作ったお寺

萬福寺の石碑

萬福寺(まんぷくじ)をご紹介したいと思いますっ。


20人の弟子を引き連れて隠元が日本にやってきたのは1654年。

その後、1661年、徳川4代将軍である家綱の協力により

萬福寺がスタートしたのです


萬福寺の入り口

到着すると、まずはその大きさに圧倒されます。

むちゃくちゃ広い

熱中症にならないよう、水分補給をしながらじっくり拝見したいと思います~っ。


萬福寺の三門

こちらが三門(さんもん)です。


これは建物全体を通して言える事なんですけど

まさに異文化の寺院といえるでしょう

三門をくぐり目の前に現れるのが、天王殿。


ん~?

その中にひとりの・・・おじさま??

が、いらっしゃるではありませんかっ。


ぐふふふ~!と今にも笑い声を響かせそうな像が

萬福寺の布袋尊(ほていそん)

布袋尊(ほていそん)

今年の暑さで上半身裸になって座っているわけではないですよ


七福神でも有名な布袋さんです。

いやー、それにしても見事なゴールデンボディですね。


思わず

家で、こんな姿をしていた

お風呂上りの京子パパを思い出してしまいました(汗)


萬福寺の絵馬

絵馬にも描かれている布袋尊


その布袋尊と背中を合わせるように安置してあるのが

萬福寺の韋駄天像(いだてんぞう)

韋駄天像(いだてんぞう)


韋駄天はお釈迦様をお守りする神の一つとされています。

ちなみに

韋駄天は、仏舎利(遺骨及び棺)を盗んで逃げた捷疾鬼(しょうしつき)を追いかけて取り戻したことから、韋駄天は足の速い神とされていて足が早い人の事を「韋駄天」というようになったそうです

なるほどぉ~。

(・∀・)ノ井手らっきょの顔が韋駄天に似ているからじゃなかったんですね


そして、その韋駄天が見つめる先にあるのが・・・


萬福寺の大雄宝殿(だいおうほうでん)

本尊の釈迦如来を祀っている大雄宝殿(だいおうほうでん)です。

とにかくビッグスケールの建物が並びますね~

丸い形の窓が印象的!!


萬福寺の本尊である釈迦如来坐像

本尊である釈迦如来坐像。


萬福寺の大雄宝殿の前に置かれた香炉

大雄宝殿の前に置かれた香炉


そして、その右手には斎堂と呼ばれる

300人が食事を出来る食堂のようなものがあります。


その斎堂の前には

萬福寺の開版(かいぱん)

開版(かいぱん)

と呼ばれる大きな魚が!


これを叩いて食事の時間を知らせたそうです。

魚板とも言われ、木魚の原型だそうですよ


そして、明から隠元によって渡ってきたというのが

普茶料理と言われる明の精進料理。


この普茶料理と開版・・どこかで見た事あるなぁと思ったら

以前紹介しました海宝寺ですね

それもそのはず、萬福寺の別院として出来たのが海宝寺だったようです。


さて、こちらは何かお分かりですか??


これは開版に引き続き、打ち鳴らして時間を知らせるもうひとつのアイテム。

萬福寺の巡照板(じゅんしょうばん)

巡照板(じゅんしょうばん)です。


境内、5箇所に設けられているこの板は

修行僧が朝4時と夜の9時に木槌で打ち鳴らして回るのです。


こちらで突然、クイズです!

隠元がもたらした普茶料理。

この他にも日本に隠元が広げた食べ物があります。

さて何でしょう??


ヒントは彼の名前っ


そうでーす、正解は・・・


インゲン豆。

この豆は元々、ヨーロッパを経由して明に伝わり隠元によって

日本に入ってきたそうですよ

普茶料理に欠かせない「胡麻豆腐」。これも隠元により伝わったそうで、門前には普茶料理の名店が軒を連ねています。

では、次のエリアに向かう事にしましょう。


萬福寺の法堂(はっとう)

一般の方でも座禅が出来るという法堂(はっとう)です。

中には数十人が座禅を組めるようになっていました。


この法堂の左右には

東方丈、西方丈があり、左右対照になっています。


この萬福寺は、伽藍配置(がらんはいち)と言われ西を正面とし

左右対照にきっちりと配置されているんです。


西の方角にある、総門をくぐり、三門、そして、天王殿、その奥に大雄宝殿、最後に法堂。

一直線に並び、それを挟むように南側には鐘楼、伽藍堂、斎堂。

そして北側には鼓楼、祖師堂、禅堂が並んでいるのです。


萬福寺の法堂や、大雄宝殿、斎堂を結ぶ渡り廊下

法堂や、大雄宝殿、斎堂を結ぶ渡り廊下。


中を歩くだけでも、それは京都の町並みのような碁盤の目を想像させる整然さが伝わってきます~。

萬福寺は日本三禅宗の一つである黄檗宗(おうばくしゅう)を宗派としていて、隠元はこの京都にある萬福寺以外にもいくつかのお寺を開いているんですね。

彼が日本に招かれた頃、日本は江戸時代、鎖国政策をとっていました。


しかし、そんな日本において

明やオランダと貿易していた場所が長崎であり

ここには明式の寺院が多く建てられていました。


「ちょっとこっちに来てみなよ??なかなか長崎もいいとこだぞー。」


と、明から長崎に渡った僧仲間に呼ばれ

隠元の弟子の一人がまずは行ってみることに・・・。

萬福寺の60種類ものハス

この季節、萬福寺の境内のいたる所に、60種類ものハスが見事に咲いています。


しかーし、その船は遭難し帰らぬ人になってしまったのです(泣)

これがきっかけになり

隠元は彼の遺志を果たす為にすでに高齢ながら

どんぶらこっこ♪と、日本へとやってきたのでしたのでした


多くの弟子を引き連れて長崎入りした隠元は、長崎の興福寺そして大阪の普門寺で過ごしたのです。

一心腐乱に教えを説いた隠元

・・・気付くとなんと早くも3年の月日が流れていたのでした。


この頃、祖国を離れやって来た隠元は明に残してきた弟子たちから

「そろそろ帰って来てくださいよー(泣)」という手紙が日を増して送られるようになりました。


しかし、それ以上に

日本側の信奉者たちは隠元に残ってほしい事を希望し

とうとう江戸、家綱の元へ彼は向かいます。


そうです

隠元は幕府協力の元、とうとう自分のお寺をこの日本で持つ事を決めたのです!


萬福寺の三つ葉葵

境内のいたるところに三つ葉葵がありました。


結果的に


「ちょっとばかし、日本に行ってくるわ~」

と言っていた隠元は日本で骨を埋めたというお話でした。


そんな日本LOVEの隠元が開いた、萬福寺の場所はコチラ↓


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