メモ2014-09-28
テーマ:京都検定

京都検定過去問 その339

本日も京都検定の過去問より

4問出題させて頂きます


1問目にいってみましょう。

【問題】

平安京の中心線ともいうべき通りは、南北に通る朱雀大路であるが、その南端にある平安京の正門を何というか。

ア.建礼門(けんれいもん)

イ.朱雀門(すざくもん)

ウ.明徳門(めいとくもん)

エ.羅城門(らじょうもん)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

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では、答えですっ。

【答え】

エ.羅城門


羅城門の『羅城』とは

都の四方を巡らす

城壁の事なんだそうですよ。


羅城門跡地

羅城門跡地


大きさは

幅、約35メートル

奥行き、約9メートル

高さ、約21メートル

だったそうで約4キロ北にあった

朱雀門と同じ形で大きさだったと言われています。

※ちなみに朱雀大路は現在の千本通りにあたるとされています。


そんな大きな羅城門は

高さと幅に対して奥行きが短すぎたみたいで

風に弱く816年

大風により倒壊したそうです

※詳しくは、羅城門跡地の記事をご覧ください。


続いて2問目です。

【問題】

善峯寺・善峰寺

京都の八百屋の娘に生まれ、江戸幕府第5代将軍綱吉の生母となり、のち善峯寺(よしみねでら)でなど寺院の復興に尽力したのは誰か。

ア.瑤泉院(ようぜんいん)

イ.桂昌院(けいしょういん)

ウ.崇源院(すうげんいん)

エ.常高院(じょうこういん)

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

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では、答えですっ。

【答え】

善峯寺の桂昌院像

イ.桂昌院


桂昌院は

『玉の輿』という言葉の

語源になった人なんですよ。


桂昌院は幼名を『お玉』と言い

お玉さんが『輿(こし・高貴な人が乗る乗り物)』に乗った事が

由来とされています。


ちなみに現在も残っている

善峯寺にある建物のほとんどは

彼女によって復興されたものだそうです

※応仁の乱について詳しくは、銀閣寺(慈照寺)の記事をご覧ください。桂昌院や善峯寺について詳しくは、桂昌院遠忌法要 2012(善峯寺)の記事をご覧ください。


3問目にいってみましょう。

【問題】

京都御苑の西側に位置し、幕末に、長州軍と幕府軍との激戦の舞台になった門はどれか。

ア.堺町御門

イ.今出川御門

ウ.清和院御門

エ.蛤御門

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

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では、答えですっ。

【答え】

蛤御門

エ.蛤御門(はまぐりごもん)


この蛤御門から名をとって

長州軍と幕府軍(薩摩・会津など)の戦いは

蛤御門の変と呼ばれますよね。


また、別名『禁門の変』とも言われ

長州藩は約400人もの同士が殺されたり

中には自害した人間も多数いたようです。

※禁門の変について詳しくは、木屋町界隈の史跡 その2の記事をご覧ください。


ちなみに禁門の変の際

新選組が陣を構えていたと言われるのが

新選組ファンならピンとくる

勧進橋(かんじんばし)の下の辺り(九条河原)なんですよ。


では最後の問題です。

1級からの出題になるので選択肢ではありません。

ズバリでお答え下さい。


【問題】

珍皇寺の迎え鐘

珍皇寺(ちんのうじ)の盆の「迎え鐘」に対して、精霊(しょうりょう)を送る「送り鐘」で知られる寺町三条の寺院はどこか。

答えは↓にスクロールして下さい。

シンキングタイム★

・・・

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では、答えですっ。

【答え】

矢田寺

矢田寺(やたでら)


迎え鐘とは

お盆の季節に、ご先祖様があの世(冥土)から

この世に帰ってくる際

迷わないように撞かれる鐘の事なんです。

※迎え鐘や珍皇寺について詳しくは、六道珍皇寺六道参り 2010(六道珍皇寺)の記事をご覧ください。


そして、送り出す時に撞かれるのが

送り鐘なんですね


毎年、京都五山送り火が行われる

8月16日になると

矢田寺には多くの人が鐘を撞きに

訪れるそうですよ。


という事で今回も4問出題させて頂きました。

皆さんは何問正解されましたか?