メモ2012-06-17
テーマ:祭り・イベント
関連:善峯寺 / 善峯寺の紅葉 / 

桂昌院遠忌法要(善峯寺)

こんにちは京子です。

桂昌院遠忌法要

本日ご紹介するのは善峯寺(よしみねでら)で行われた桂昌院遠忌法要(けいしょういんえんきほうよう)です。

今年で308回忌になります。


桂昌院(けいしょういん)は6月22日に亡くなられていますけれど

参拝がしやすいという理由で毎年22日に近い日曜日に行われています

桂昌院のお墓

こちらは桂昌院のお墓です。

さて、桂昌院という人物は一体どのような人物だったのかと申しますと

『玉の輿』の語源になった人と言われています


玉の輿とは桂昌院の幼名『お玉』と

高貴な人が乗る『輿(こし)』から来ているそうですよ


では桂昌院のサクセスストーリーを見ていきましょう。

彼女は八百屋の娘として生まれます。

枝垂れ桜と紅葉

こちらは桂昌院が自らの手で植えたと言われる枝垂れ桜と紅葉です。


父親が死に、縁のあった二条家(公家の一つ)に母親が後妻となった事から

色んな縁が巡ってきます

見習い奉公として二条家で従事していた彼女は

二条家と縁のあった徳川家の第3代将軍、家光(いえみつ)公に気に入られて側室となり

後に大奥を取り仕切る立場にまでなります

そして出来た子供が第5代将軍となる徳川綱吉(とくがわつなよし)なんです。


八百屋の娘から将軍の母親なんて

まさに『玉の輿』ですよね

さらに彼女は、女性にとっては最高位の称号となる『従一位(じゅういちい)』という位が授けられます。


では早速レポートしていきましょう。

13時半頃、善峯寺に着いた京子

本坊

本坊ではちょうど住職さんによる御経があげられる所でした。

残念ながら法要は撮影が禁止されていたため、写真が撮れなかったのですけれど

法要が終わると住職さんにより善峯寺と桂昌院についてお話をして下さいましたよ


元々は母親が熱心に善峯寺に通いつめ

桂昌院も母親について幼少の頃は善峯寺に通っていたそうです


かつて応仁の乱により消失したままになっていたものなどを

桂昌院は幼少期の縁から復興させました。

そして現在も残っている建物のほとんどは彼女によって復興されたものだそうです


お話が終わるとヴァイオリンやフルートで献奏が行われ

葉加瀬太郎(はかせたろう)さん作曲の『情熱大陸』などが披露されました。

献奏が終わると住職の方から

「あじさいが見頃なので良かったらどうぞとオススメされたので

写真を撮ってきましたよ

あじさい

どうですか~

見渡す限りあじさいあじさいあじさいなんですよ。


1万株のあじさい

境内には1万株のあじさいが咲いています。

昨日、雨が降ったせいかお花が生き生きとしていましたよ


徳川家の家紋と、本庄家の家紋

こちらは先着100名でお菓子を頂く事が出来ました

徳川家の家紋と、桂昌院の実家である本庄家(ほんじょうけ)の家紋です。


そんな桂昌院遠忌法要が行われた善峯寺の場所はコチラ


大きな地図で見る

最寄の交通案内

 阪急バス 66番 善峯寺(よしみねでら)


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