メモ2014-10-21
テーマ:お寺

清和院

今回ご紹介するのは

京都市上京区にある

清和院

清和院(せいわいん)です!


清和院は

名前からピンと来た人もいるかも知れませんけれど

清和天皇(せいわてんのう・第56代)ゆかりのお寺なんですね。


こま札

平安時代、もともと父である

文徳天皇(もんとくてんのう・第56代)が

皇后である染殿(そめどの:藤原明子(ふじわらのあきらけいこ))のために創建した

仏心院という地蔵堂を基に

清和天皇(せいわてんのう)譲位後の後院(譲位後の御所)として

建てられたのが始まりといわれているんですよ


ちなみに仏心院は

藤原良房(ふじわらのよしふさ・染殿の父)の邸宅である

染殿第(そめどのだい:染の御所とも)の南に創建されたみたいで

現在の京都御苑の北東あたりになるんだそうです。


京都御苑には、染殿第があった名残が

清和院御門として残っています


また、室町時代には

清和天皇が清和源氏の祖であった事から

清和源氏の流れをくむ

足利氏の崇敬も篤かったそうです。


けれど江戸時代の初期

1661年に御所大火によって

類焼してしまい

その後、現在地に移転したというわけです。


清和院と書かれた額

本堂に架けられていた額


清和天皇のおじいちゃんでもある

藤原良房については後ほど

ご紹介しますね


では早速、中に入っていきましょう。


山門をくぐって中に入ると

左手にはすぐ本堂がありました。


本堂

本堂には、ご本尊として

木造地蔵菩薩立像が安置されています。


木造地蔵菩薩立像

このお地蔵さんは別名

清和地蔵尊や玉体地蔵と呼ばれていて

清和天皇の容姿を模して造られたと

伝わっているんですよ!!

※玉体とは帝・・・つまり天皇の事です。


またお地蔵さんの両目には

清和天皇が肌身離さず持っていたと言われている

念仏舎利水晶の2粒が

入っているそうです


ちなみに江戸時代中頃には

洛陽48願所地蔵巡りの第13番に

数えられていたと言われています。

※洛陽48願所地蔵巡りとは、六地蔵以外で48ヶ寺の地蔵を順番に回って拝むというものです。


洛陽48願所地蔵尊は以下の通りです。

第1番 壬生寺(みぶでら)・縄目地蔵

第2番 光林寺(こうりんじ)・水那上地蔵

第3番 更雀寺(きょうしゃくじ)・雀森地蔵(桶取地蔵)

第4番 悟真寺(ごしんじ)・養老地蔵

第5番 休務寺(きゅうむじ)・萬人講地蔵

第6番 成圓寺(じょうえんじ)・延命地蔵

第7番 昌福寺(しょうふくじ)・幸福地蔵

第8番 勝厳寺(しょうがんいん)・見返地蔵

第9番 祐正寺(ゆうしょうじ)・妻取地蔵

第10番 報土寺(ほうどじ)・腹帯地蔵

第11番 超円寺(ちょうえんじ)・跡追地蔵

第12番 地蔵院(じぞういん)・昆陽野地蔵(鍬形地蔵)

第13番 清和院(せいわいん)・玉体等身地蔵

第14番 浄福寺(じょうふくじ)・浄土引接地蔵

第15番 智恵光院(ちえこういん)・六臂地蔵

第16番 石像寺(しゃくぞうじ)・釘抜地蔵

第17番 上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)・天神同体地蔵

第18番 地蔵院(じぞういん)逆川地蔵(歯形地蔵

第19番 西林寺(さいりんじ)・木槿地蔵

第20番 西園寺(さいおんじ)・土止地蔵(槌留地蔵)

第21番 佛陀寺(ぶっだじ)・王城地祭地蔵

第22番 了蓮寺(りょうれんじ)・水落地蔵

第23番 真如堂南地蔵堂(しんにょどうみなみじぞうどう)・鎌倉地蔵

第24番 尊勝院(そんしょういん)・米野地蔵(米地蔵)

第25番 西方寺(さいほうじ)・衣通姫地蔵

第26番 三福寺(さんぷくじ)・夢見地蔵

第27番 檀王法林寺(だんのうほうりんじ)・袖取地蔵

第28番 矢田寺(やたでら)・那落化現地蔵(代受苦地蔵)

第29番 誓願寺(せいがんじ)・西院川原地蔵

第30番 光明寺(こうみょうじ)・常盤華地蔵

第31番 妙心寺(みょうしんじ)・醒井地蔵

第32番 常楽寺(じょうらくじ)・弟児地蔵

第33番 蛸薬師堂(たこやくしどう)・鯉地蔵

第34番 西光寺(さいこうじ)・腹帯地蔵

第35番 善長寺(ぜんちょうじ)・枕返地蔵(立江地蔵)

第36番 染殿院(そめどのいん)・染殿地蔵

第37番 仲源寺(ちゅうげんじ)・目疾地蔵

第38番 六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)・鬘掛地蔵

第39番 法観寺(ほうかんじ)・夢見地蔵

第40番 正法寺(しょうほうじ)・身代地蔵

第41番 清水寺(きよみずでら)・勝軍地蔵

第42番 退耕庵(たいこうあん)・玉章地蔵

第43番 専定寺(せんじょうじ)・獅子地蔵

第44番 福田寺(ふくでんじ)・乳房地蔵

第45番 蓮光寺(れんこうじ)・駒止地蔵

第46番 極楽寺(ごくらくじ)・手引地蔵(安産地蔵)

第47番 新善光寺(しんぜんこうじ)・来迎地蔵

第48番 本覚寺(ほんがくじ)・泥付地蔵


そしてお地蔵さんの隣には

河崎観音の写真が

安置されています。


え?写真


とお思いかもしれませんけれど

セキュリティーの事を考えて

現在、九州国立博物館で

所蔵されているそうです。


ちなみにこの河崎観音は

もともと鴨川西岸の一条河原崎にあった

感応寺の観音堂に

安置されていたものなんだそうです


感応寺が焼失してしまったために

清和院と合併し

こちらに河崎観音が移されたというわけです。


現在、清和院は

洛陽三十三所観音巡礼第33番札所

洛陽三十三所観音巡礼第33番札所にもなっています。


そして本堂の左側には


爪形天満宮

爪形天満宮という社がありましたよ。


天満宮と付くくらいですから

菅原道真が祀られているとは思うんですけれど


白梅殿 古跡 爪形天満宮

詳しい由緒などは

わかっていないそうです。


さて、冒頭でもお話しました

藤原良房について少しご紹介します


良房は先ほども言いましたけれど

染殿(清和天皇の母)の父で

人臣で初めて、つまり皇族以外で

『太政大臣』『摂政』になった人なんです!

※染殿大臣とも呼ばれていました。


庫裏

庫裏です。


文徳天皇の第一皇子として生まれた

惟喬親王(これたかしんのう)を差し置いて

第四皇子の惟仁親王(これひとしんのう・後の清和天皇)が即位したのは

良房の力によるものだと言われています。


つまりそれほどの権力者だった

というわけですよね


その後、良房は天皇の外祖父として権力を握ると

他の有力豪族を失脚させ

藤原氏以外の力を削いでいきます。


842年の承和の変(じょうわのへん)では

橘逸勢(たちばなのはやなり)、伴健峯(とものこわみね)らを

また、866年の応天門の変(おうてんもんのへん)では

伴善男(とものよしお)、紀豊城(きのとよき)らを排斥する事に成功します。

※京都の二ノ瀬にある守谷神社には惟喬親王がお祀りされています。詳しくは、お火焚祭 2012(守谷神社・富士神社)をご覧ください。


その後、良房が亡くなってからも

藤原氏による他氏排斥は100年先まで続き

藤原道長で栄華を極めたという流れなんですね♪


というわけで今回は

清和天皇ゆかりのお寺

清和院をご紹介しました~


清和院の場所はコチラ↓


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