メモ2016-03-15
テーマ:その他
関連:京都発祥のもの その1 / 

京都発祥のもの その2

今回ご紹介するのは・・・

京都発祥のものです!


今では全国で普通に行われていたり

日常に溶け込んでいる京都発祥のものが

いくつもあるんですね


そんなわけで今回は『京都発祥のもの』

いくつかご紹介させていただきます


では、早速ご紹介していきましょう


■生け花(いけばな)


六角堂(頂法寺)に活けてあるいけばな


いけばなは、六角堂(ろっかくどう)の
第12代住職である専慶(せんけい)が
行なっていた供華(くげ)が起源といわれ
『池坊(いけのぼう・華道の流派)』の家元は
代々六角堂の住職が勤めているんですね。


六角形のお堂

六角堂の由来でもある六角形のお堂


そんな事から六角堂

『いけばな発祥の地』といわれ

六角堂の隣には池坊中央研修学院をはじめとする

いけばなの教室を全国で展開している

『池坊(いけのぼう)』があるんですよ


ちなみに『池坊』という名前の由来は
『池』のあるお寺の『坊』さん達が
いけばな文化を作り上げた事から
と、いう事のようです


■小倉餡(おぐらあん)


小倉大納言小豆が栽培されている田


小倉餡は、右京区
嵯峨野(さがの)にある
小倉(おぐら)の地に住んでいた
『和三郎(わさぶろう)』という
菓子職人が平安時代の820年頃に
作ったといわれています


和三郎は当時、亀の甲せんべいを

作っていたそうですけれど

平安時代初期に弘法大師(こうぼうだいし)

空海(くうかい)が唐から持ち帰った

小豆(あずき)の種子を栽培し

そして御所から下賜(かし)された

砂糖を煮つめて作ったんですね


ちなみに一般の人が小倉餡を

口に出来るようになったのは

江戸時代頃からだと言われています


和三郎が栽培を行っていた
『小倉大納言』という小豆は
いつしか作られなくなっていたんですけれど
小倉大納言を再び現在に蘇らせたのが
京都の老舗和菓子メーカー
井筒八ッ橋本舗
(いづつやつはしほんぽ)です


小倉餡発祥之地

二尊院(にそんいん)にある小倉餡発祥之地と刻まれた石碑


小倉大納言発祥の地である

小倉の風土で栽培された小豆は

大粒で皮が柔らかく

味や香りが濃いのが特徴なんですね


小倉あん発祥地・顕彰式

小倉あん発祥地・顕彰式


小倉の地にある二尊院(にそんいん)では

毎年3月に『小倉餡発祥の碑』前で

顕彰式が行われているんですよ

※詳しくは小倉あん発祥地・顕彰式 2013(二尊院)の記事をご覧下さい。


■天神信仰(てんじんしんこう)


天神信仰発祥の神社


京都市下京区にある
文子天満宮(あやこてんまんぐう)は
天神信仰の代表といわれる
北野天満宮(きたのてんまんぐう)が
創建されるきっかけとなった神社である事から
『天神信仰発祥の神社』とされています


文子天満宮

文子天満宮(あやこてんまんぐう)


天神様と言えば古くは

雷神の事だったんですけれど

平安時代、御所(ごしょ)の

清涼殿(せいりょうでん)に落ちた雷が

菅原道真(すがわらのみちざね)の

祟りによって起きたと考えられ

それが天神・雷神様と道真が結びついて

『天神信仰』となっていくんですね


道真は、幼少の頃より学問に励んだそうで

文章博士(もんじょうはかせ)という

中国の歴史や漢文を教える先生になった後

宇多天皇(うだてんのう:第59代天皇)に

重用されるようになります


けれどそれを面白くないと思った
時の左大臣、藤原時平
(ふじわらのときひら)に
デマを流された結果、九州の
大宰府(だざいふ)に
左遷されてしまいました


道真は、その後

失意の内に亡くなるんですけれど

京の町では、内裏の清涼殿に

大きな雷が落ちたり、天変地異が

相次ぐようになるんですね


その頃から

「これは道真の祟りだ!」

という噂が広まります!


道真の乳母であった

多治比文子(たじひのあやこ)は

「九州から都へ帰りたい。
右近の馬場(現在の北野天満宮の場所)に
祠を構えて、私を祀って下さい。」

という道真のお告げを聞いて

まずは自宅の庭に小さな祠を設け

そこに祀ったそうです


その5年後、近江国(おうみのくに:現在の滋賀県)

比良宮の神職『神良種(みわのよしたね)』の子供にも

同様の神託があった事で947年

朝廷により右近の馬場に道真を祀る

北野天満宮を造営するんですね


そしてこれ以降、全国に約1万2000社の
天満宮が創建される事となりました。


■軟式野球(なんしきやきゅう)


軟式野球発祥の地


軟式野球発祥の地はアメリカでは無くて
実は日本の京都だったんですね~


もちろん野球発祥の地はアメリカなんですけれど

今回は、『軟式』野球の方です


野球にあまり詳しくない方は

ピンとこないかもしれませんけれど

甲子園やプロ野球で使用されるボールは

硬球(こうきゅう)で、とっても硬いんです。


一方、軟式野球で使用されるボールは

軟球(なんきゅう)でこちらは

柔らかくて弾力性があるんですね


そしてこの軟球を使ってする野球を
『軟式野球』というワケです!


1915年(大正4年)、後に『夏の甲子園』となる

第1回全国中等学校優勝野球大会が行われ

京都二中(後の鳥羽高校)が優勝しました


すると京都では野球人気が急速に高まって

町中に野球をする子供達が増えたんですね


けれど当時の野球には

ヘルメットの使用を規定もするものもなく

ボールも硬い硬球しかなかったそうです。


これは子供達にとって大変危険という事で

京都市の小学校の教員グループで組織された

『京都少年野球研究会』が結成され

安全な野球ボールの開発と

そのボールを使ったルール作りに

取り組んでいくんですね


京都少年野球研究会のメンバーであった
鈴鹿栄(すずかさかえ)は
ゴム靴や自転車のステップに使われていた
ゴムの滑り止めの凹凸に目が留まり
改良に改良を重ねて
試作ボールを完成させます


そして完成した翌年の1919年(大正8年)に

軟式ボールを使った全国大会が

始めて行われたんですね


日本で誕生した軟式野球は現在

海外でも試合が行われるようになっているそうです


ちなみに日本で最も多くの人がしているスポーツは

軟式野球だといわれているんですよ

※詳しくは、軟式野球発祥の地の記事をご覧下さい。


という事で今回は

『京都発祥のもの』をご紹介させていただきました!



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