メモ2014-12-18
テーマ:お寺
関連:山王大権現御火焚祭(山王権現社) / 

清浄華院

今回ご紹介するのは

京都市上京区にある

清浄華院

清浄華院(しょうじょうけいん)です!


こちらの清浄華院は

浄土宗八総大本山の1つで

同宗の京都四箇本山の1つなんです


お寺の名前は

「浄土に咲く蓮の華のように

清らかな修行ができる場所」

という願いが込められているんだそうですよ。


ちなみに清浄華院には

山号というものが無いんですけれど

これはお寺が都以外に伽藍を構えた事が無い為と

いわれているんですね~。


こま札

そんな清浄華院は

860年(貞観2年)に

清和天皇(せいわてんのう・第56代)の勅願によって

慈覚大師(じがくだいし)円仁(えんにん)が

宮中に禁裏内道場として

建てたのが始まりなんだそうです。


勅使門

こちらは勅使門(ちょくしもん)です。


その後、後白河法皇(ごしらかわほうおう・第77代)によって

法然(ほうねん)に下賜され

『円(円教(天台))』『密(密教)』『戒(円頓戒・えんどんかい)』『浄(浄土教)』の

四宗兼学(ししゅうけんがく)であったのを

浄土宗に改めたと伝わっています

※兼学とは、2つ以上の宗派のお寺の事をいって、○○宗と△△宗の兼学寺院(けんがくじいん)などと言います。清浄華院の場合は、4つの宗派でした。


そして豊臣秀吉(とよとみひでよし)の時代になると

現在地に移ってきたんだそうです。


大本山 清浄華院

ちなみに一般的には

清浄華院を縮めて

浄華院(じょうけいん)と呼ぶみたいですよ


また、畳供養という法要を行っているという事から

畳寺とも呼ばれています。


では早速、中に入っていきましょう。


総門

まず、こちらの総門の右横には

地蔵堂がありまして


地蔵菩薩

中に安置されているのは

安産のご利益があるとされる

通称・染殿地蔵と呼ばれる地蔵菩薩です。


孝明天皇(こうめいてんのう・第121代)の

典侍(ないしのすけ、またはてんじ・女官)であった

中山慶子(よしこ)が染殿地蔵をお参りして

祐宮(さちのみや)を授かったといわれているんですね。


ちなみに祐宮(さちのみや)というのは

後の明治天皇(めいじてんのう)の事なんですよ


不動堂

そしてこちらは

総門をくぐった左手にある

不動堂です


不動堂にはご本尊である

半丈六不動明王坐像

半丈六(はんじょうろく)不動明王坐像が安置されていました。

※丈六とは仏様の身長(約4.85m)の事です。半丈六とはその半分の大きさなんですけれど坐像になるとさらに半分という事なんだそうです。つまり約1.2mですよね。


またお堂内には重要文化財の

『泣不動縁起(なきふどうえんぎ)』絵巻があるんです!!


泣不動縁起というのは

証空(しょうくう)というお坊さんの

身代わりとなった不動明王の絵像の事なんですね


その縁起を簡単ではありますけれど

ご紹介したいと思います。


縁起

ある時、三井寺(みいでら)の高僧である

智興(ちこう)が病になってしまったそうで

その事を陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)に

占ってもらたんだそうです。


すると、晴明は

智興の死は免れないけれど

誰かが身代わりとなる事は出来ると告げるんですね~


つまり!

誰かが身代わりとなって死ぬ事で

智興の命は延命する事が出来る!

というわけなんです


その事を智興は弟子達の前で話し

身代わりになってくれる者がいないか聞くんですけれど

誰1人として名乗りでなかったんですね。


そりゃそうですよね!

身代わりになったら死ぬんですから!!


けれど、しばらくして

1人の弟子が身代わりを名乗り出ます


それが証空なんですね~。


証空は弟子の中でも末席だったといわれています。


つまり下っ端な自分でも

師匠や先輩の為に役立つ事が出来るならと

命を投げ出す覚悟を決めたのかも知れませんね。


ただ今すぐ死んでしまうと

田舎にいる母親が悲しむので

最後の挨拶だけはさせて欲しいと証空は言います。


その後、証空は田舎の母親に事情を説明し

泣く母親を田舎に残し身代わりとなるですね


晴明が陰陽道によって

智興の病を証空に移すと・・・


病の苦しさから

証空は耐えられなくなり

普段から信仰していた

不動明王の絵像に助けを求めたんだそうです。


するとなんと!不動明王が現れて


「汝、師代わる、我、汝に代わらん!」


と言ったんですね!


その後、壁に掛けられていた絵像が落下すると

証空の病はたちまちのうちに治ったといわれているんですよ


不動明王は

師に代わろうとした証空に感動して

涙を流したといわれ

この事から『泣不動(なきふどう)』と呼ばれているんですね。


ちなみにその後、不動明王はどうなったのかと言いますと

地獄の閻魔大王を平伏させて

誰も死なずに済んだんだそうですよ。


閻魔大王も不動明王が

やってくる日がこようとは

思ってもいなかったでしょうね


しかも泣いている不動さんですから

さらにビックリしたと思います♪


こちらは清浄華院の本堂とも言われる

大殿

大殿です。


中には法然の御影(みえい)を安置している事から

御影堂とも呼ばれるそうです。


お堂の中央には

法然が42歳の時に自らの姿を彫ったとされる

法然上人像が安置されているそうです


法然上人像は江戸時代

42歳という男性の本厄の歳という事から

厄除圓光大師として信仰されたみたいですよ。


こちらは大方丈です。

大方丈

中には阿弥陀三尊像を安置しているそうです。


その大方丈の前には

天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)の母である曾祖母である

『智満方(ちまのかた)』の

宝筐院塔(ほうきょういんとう)があります

※宝篋印塔とは供養塔の一種です。


宝筐院塔

篤姫は

薩摩藩9代藩主『島津斉宣(なりのぶ)』の

孫娘にあたる人物で

江戸幕府第13代将軍である

徳川家定(とくがわいえさだ)の

正室として知られていますよね


そんな篤姫の曾祖母の供養塔が

なぜここにあるのかと言いますと


塔頭の松林院(現在の阿弥陀堂)が


阿弥陀堂

阿弥陀堂です。塔頭だった松林院の本堂を改築して阿弥陀堂としたんだそうです。幕末、京都守護職であった会津藩の松平容保(まつだいらかたもり)が半年ほど滞在していたそうです。


智満方の父親である

堤家(公家)の菩提寺であったからのようです。


そしてこちらは山王権現社です。


山王権現社

創建当時に円仁が

鎮守社として山王権現をお祀りしたんだそうですよ。


毎年11月28日には山王権現社で


お火焚祭の様子

お火焚祭の様子です。


お火焚祭が行われていますので

また来年訪れてみてはいかがでしょうか


そんな清浄華院の場所はコチラ↓


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