2014-09-16 | |
テーマ:お寺 |
常林寺
今回ご紹介するのは
京都市左京区の出町柳(でまちやなぎ)にある
常林寺(じょうりんじ)です!
※近くには京阪の出町柳駅があります。
こちらの常林寺は
通称、萩の寺(はぎのてら)と呼ばれる
ハギの名所として有名なお寺なんですね。
ちなみに常林寺のハギは
ハギ
京都でも早咲きとして有名なんですよ
そんなハギで有名な常林寺は
浄土宗のお寺として
1573年(天正元年)
魯道(ろどう)によって創建されました
創建時は、この場所ではなく
南へ1kmほど行った
寺町通荒神口にあったと言われています。
1671年(寛文11年)に
大火によってお堂が燃えてしまうんですけれど
1698年(元禄11年)には
英誉(えいよ)によって
現在地である出町柳に
再建されたんだそうですよ
そして、かつてこの場所には
鴨川と合流する砂川があり
常林寺は長徳寺(ちょうとくじ)
正定院(しょうじょういん)とともに
『砂川の三軒寺』と
呼ばれていたみたいです。
それでは早速、中をご紹介していきましょう。
山門をくぐって左側を見ると
地蔵堂がありました!
こちらの地蔵堂には
世継子育地蔵尊(よつぎこそだてじぞうそん)が
安置されています
山門前に建てられている『世継子育地蔵尊』と書かれた石碑。
なんでもこの世継子育地蔵尊は
常林寺がこちらに移ってくるよりも
さらに前からこの場所にあったそうで
遠方の人々にも良く知られていたそうです
お寺の前の若狭街道(鯖街道)を
行き来する人々からは
安産祈願や子供の成長を祈る
子育て祈願をする人がたくさんいて
大変親しまれていたそうなんですね♪
そしてこちらが本堂です。
山門をくぐり正面にあります。
本堂にはご本尊として
阿弥陀三尊像が安置されています
写真を見てもわかるとおり
境内をハギが覆いつくす程咲いているんですね~
ちなみに常林寺は
幕末、ある人物の宿坊に使われていました。
そのある人物とは・・・
勝海舟(かつかいしゅう)です!!
勝海舟と言えば
幕府側の人間として
江戸無血開城(えどじょうむけつかいじょう)の
立役者として有名ですよね。
1868年(慶応4年)から始まった
戊辰戦争(ぼしんせんそう)により
薩長を中心とする新政府軍と
旧幕府軍は日本を舞台に
2つに分かれて戦います
しかし旧幕府軍は
近代的な武器を持つ新政府軍に
押されていきます。
境内のハギです。勝海舟も見たんでしょうね~。
新政府軍が江戸へ進軍
江戸城に迫りつつある中
江戸の町もいよいよ戦場になるのかと
誰もが思っていたその頃
陸軍総裁・勝海舟は
新政府軍の総大将・西郷隆盛(さいごうたかもり)と会談し
まさに一滴の血も流れる事なく
江戸城を官軍に明け渡し(江戸無血開城)
江戸の町が戦火に見舞われる事を防いだんですね
この事は世界史の中の奇跡と呼ばれています!
普通、旧体制を壊す際は
武力によってでしか実現出来ないと
言われているからなんです!!
そんな勝海舟が
神戸や長崎に赴く際に
宿坊にしていたと伝わっているのが
この常林寺だったんですよ
ちなみに常林寺では
毎年敬老の日になると
萩供養(はぎくよう)が営まれ
萩供養の様子です。
その際には、普段は入る事が出来ない
本堂も拝観できるようになります
今年はもう過ぎてしまいましたけれど
来年、気になった方は訪れてみてはいかがでしょうか。
そんな萩の寺「常林寺」はコチラ↓
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